翌朝、私は彼の部屋から出勤した。
もちろん同伴出勤・・・するはずない。
昨日は、ジョンファが私のそばを離れなかったから、仕方なく喧嘩しながらの登場ってことに相成ったけれど、さすがに2回目は私が避けた。

ジョンファ?
あいつは平気・・・というより、一緒に出勤したかったようだが、そんなことしていたら私が殺される。
でなくても、ジョンファの株をこれ以上、下げるわけにはいかない。
会社というところは仕事の現場のはずなのに、理不尽なほど脆い。
どれほど目覚しい業績を上げていても、だらしないプライベートな部分をさらけ出すと、ましてや恋愛関係を持ち込むといっぺんで評価が下がる。
プライベートな部分をうまくコントロールできない人間は、仕事においても言わずもがなってことだ。

「チーフ!」

私が先にデスクについて、昨日やり残した(ジョンファが勝手にパソコンの電源を落としたんだ)仕事に取り掛かっていると、ジョンファがフロアに入ってきた(・・・らしい。私はそ知らぬふりをしていたけれど、周囲の視線がいっせいに私に向けられた気配でそうと察した)。
でも、彼が私の斜め前の席に着く前に、彼を呼ぶ甲高い声がフロアを横切っていた。
今年2年目の若き営業マン、イ・ドンウクだった。
思わず私まで顔を上げてしまうと、ドンウクはジョンファに駆け寄り、なにやら顔を寄せてささやいている。
ジョンファは自分のデスクへと歩きながら、後輩の言葉に耳を傾けている。
そして、彼が手にしていた書類にちらっと視線を走らせると、ブリーフケースをデスクの上に丁寧に置くなり、ドンウクの背中をとんと叩いて二人でフロアを出て行った。
多分、行き先は無人のミーティングルーム。
私は、さりげなくパソコンのディスプレイに営業1課のスケジュール表を呼び出した。
狸親父の課長をトップに、ジョンファ(チーフ)、8ヶ月前に私をどん底に落としてくれた男・・・と、ずらりと営業マンの名前が並び、その横に今、携わっている仕事がリストアップされる。
ジョンファは現在、大きなプロジェクトを抱えているので
クライアントの名前はさほど多くないが、それでもやはり1課の中ではダントツだ。
で、ドンウクは・・・とスクロールして行くと、あった。
新規客ではなく、ジョンファが担当していたクライアントの名前が幾つか並んでいる。
確かめるまでもない。
彼はジョンファが開拓した仕事を引き継いでいる。
ジョンファが任せる以上、そこそこ仕事はできる男だとは私も思う。
彼の営業書類や業務報告書の作成はチェミンたち若手がやっているから、私はほとんどノータッチだが、彼らの動きくらい手に取るように分かる。
先ほどの二人の表情から察するに、何か突発的なアクシデントか、ドンウクのチョンボか。
クライアントのわがままなんて日常茶飯事だから、そんなことであれほどうろたえはしないだろう。

30分もミーティングルームにこもっていただろうか。
二人はどこか落ち着きない足取りでフロアに戻ってくると、すぐにドンウクがホワイトボードのジョンファと自分のスペースに「デトン電機」と書き込む。
それを横目で確認すると、ジョンファは先ほど置いたブリーフケースを手にして後ろを振り返りもせずに出て行った。
すかさずドンウクもそのあとを追う。

「先輩、トラブルですね」

二人の後ろ姿を見送るでもなく見ていた私に、チェミンが椅子ごと擦り寄ってくる。

ん?
昨日のよそよそしさは、どした、チェミン。

「ドンウク、まだひよっこだからなぁ〜」

って、同じようなひよっこのあんたがそれを言うか?
私は呆れて横目でちらりと彼女を見た。
彼女は彼女で、同じように上目遣いで私を見ている。
お互いに探るように視線を交し合うと、彼女がにやっと笑った。
和解しましょうね〜とその視線が言っている。

「せんぱぁい」

「・・・何よ・・・」

「いつからジョンファssiと付き合ってるの?」

「はい?」

「だってぇ」

チェミンは唇をかわいらしく尖らせる。
彼女のお得意のポーズだ。

「先輩っていけず」


それは昨日散々聞いた。

「何も教えてくれないんだもの。
私、先輩はソジンssiと結婚するに違いないって、みんなに言ってたのにぃ〜」

あんたか、ろくでもないことを言いふらしていたのは。

「私、馬鹿みたいじゃないですかぁ〜。
先輩に一番近いところにいるのに、何見ていたんだって、
散々みんなから責められちゃったじゃないですかぁ〜」

知るか。
どうでもいいけれど、その語尾を延ばす物言いを何とかしろ。
あんただって、もう25歳でしょう?

ま、いいか。
チェミンから譲歩してくれたんだし。

「ねぇ、いつから付き合ってるの〜?」

答えられるか。

すぐに給湯室で言いふらすくせに!
あんたの後ろに、このフロア中の女の子が見えるわよっ!

「・・・ノーコメント」

「え〜、いけず」

「・・・チェミン」

「はぁ〜い」

「お仕事しましょうね?
ドンウクもひよっこだけれど、あなたも似たようなもんなんだから」

「わぁ、先輩、ひど〜い!!」

「はいはい、なんとでも言いなさい」

私は、手元の資料に目を落とした。
仕事はいくらでもある。
けれど、チェミンは私のそばから離れない。
探るように私の顔を覗き込んでいることを気配で感じる。

「先輩」

「何よ」

「辞めちゃうの、会社?」

「・・・」

「・・・ソジンssiの会社に入るの?」

それこそ安易に返事なんかできるもんですか。
ソジンが会社を辞めて独立するのは、会社も公認のことだ。
そのために先日のイベントチームの半分を連れて出て行くことも、会社側は了解している。
けれど、それとこれは別だ。
多分、今、私が辞めても会社は痛くも痒くもないはずだ。
それどころか狸課長たちは、顔には出さないものの心の中では、「うるさいお局がいなくなってフロアが若返る」と快哉を叫びそうな具合だ。
けれど、やはり、私までもがソジンと一緒に独立すると公言してしまうと、心情的に面白くはないだろう。
だからこそ私は退職の理由を「一身上の都合」で通すつもりでいた。
もちろん、ジョンファとの交際も黙っているつもりだった。
私がうやむやなままにしておきたかったことを同時に二人の男からばらされて、私の立場は・・・、もっとも最初っから、そんなものなかったけれど、とにかく私の立場は今、非常に微妙だとしか言いようがない。

「チェミン」

「はぁい」

「お仕事しましょうね、あとからお話しましょうね」

皮肉っぽい私の口調に、さすがのチェミンもお口を閉じた。
やれやれ、先が思いやられる・・・。

態度がころっと変わったのは、チェミンだけではなかった。
その日1日、私の周りには、いつも誰かがうろうろしていた。
要するに好奇心満杯の人間が、何かと用事を見つけては私のそばへやってきて、ジョンファとソジンとのことをさりげな〜く聞き出そうとするのだ。
ヒマな人間が多すぎる。
おかげさまで、私の仕事は瑣末なものまで含めると、ごちゃごちゃと前日の倍以上になった。
うんざりしながら、それでも私は黙々と仕事を片付ける。
何とか急ぎの仕事にけりをつけたランチ直前、私が化粧室から出ようとしたとき、ジョンファはドンウクと共にエレベーターから降りてきた。
私は鉢合わせしないようにと、慌ててもう一度、化粧室のドアを閉めた。
その前を彼らは通り過ぎてゆく。

「だから、業界の常識は世間の非常識、世間の非常識は業界の常識だろ。
道義的責任はどうあれ、そこんとこをちゃんと押さえておかなかった
お前の初歩的なミスだ。
あそこは宣伝部のメンバーがよく変わるから、1回1回ちゃんと確認しろって引継ぎしただろ。
この仕事にはクリエイティブ局やメディア局にも無理言って、ただでさえ人手不足の中からスタッフを出してもらっているんだぞ。危うく9桁の仕事をふいにするところだった。
二度と同じミスはするな」

「はい」

仕事モードのジョンファっていいな・・・と、心が緩みかけ、目の前の鏡を見て、はっと表情を引き締める。
いかん、いかん。
社内恋愛禁止・・・というルールもあながち馬鹿にできないなと思う。
・・・とは言いつつ、私は社内恋愛3回目だけれど・・・、初めてそんなこと思った。
今までは周りのことなんか、まるで見ていなかったんだなと今さらながらに思う。
今は、ジョンファに夢中なのに、周りのこともよく見える。
年を重ねて分別が出てきた・・・ってわけじゃない。
私の態度如何でジョンファへの評価も変わる。
そんな当たり前のことが今頃分かったなんて。
私はいい加減に生きられない。
ジョンファは言った。
私の人生は彼の人生でもあるのだと。
私は深呼吸をすると、彼らが歩き去った廊下へと足を踏み出した。

ジョンファは前日とは打って変わって、私に一切まとわりつくことはなかった。
もともと、ちょいと厳しい案件しか持ってこなかったヤツだ。
今日は、朝からドンウクの尻拭いでばたばたしていたみたいだし、
明日からはまた東海のリゾート地へと出張するスケジュールが組まれている。
もともと私たちのデスクは斜めとはいえ向かい合っているから、私たちがどんな会話を交わすかとみんなは興味津々と言う風情で見守っている。
けれど、私たちがあっさりと「お疲れ様」「お疲れ」なんて
決まりきった挨拶しかしないと分かると、拍子抜けした表情を隠しもしないで自分たちの手元に視線を落とした。
もちろん、ジョンファからランチのお誘いもなかった。
ブリーフケースをデスクの上に置くと、「ドンウク、ジョンミン、30分後にミーティングルーム」と言い捨てて、さっさと出て行ってしまった。

結局、その日1日、彼は私を一顧だにせず、デスクの上に山積みになっていた仕事を手際よく処理していった。
私が仕事を終えて帰ろうとしたときも、彼はまだ帰社していなかった。

夜中にメールが入る。

「今日はごめん、午前中のトラブル処理で1日のスケジュールが狂った。
明日は早いから、今夜は一人で寝る。
会社を辞める件は、またゆっくり話し合おう。
おやすみ、ジェヨンssi」

「おやすみなさい、ジョンファ」

言葉にしながらメールを打ち、送信する。
明日から3週間、彼は東海のリゾートホテルへ行ってしまう。
寂しいけれど・・・、大丈夫、今迄だって一人だったんだもの。
3週間くらい、あなたがいなくても・・・。




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