会社から少しばかり離れたレストランで私たちは向かい合っていた。

「でも、連れ出してやってよかっただろう?
あのままじゃ、お前、皆から繰り出される嫉妬のまなざしで刺し殺されているだろう」

「私は平気よ」

「マね、お前のことだから、逆に睨み返しているだろうけれど」

ほっとけ。

5年前、あなたと別れたときも、散々嫉妬と非難のまなざしにさらされたし、
8ヶ月前には同情と哀れみと、あざけりの視線を浴びた。
でも、私はうつむかなかった。
鈍感だとでもなんとでも言え。
それが私だ。

「で、どうしてくれるの、俺のほうは」

「ん?」

箸で鳥の煮込みをつついていた彼が問いかける。

「ちゃんと退職願い、出しただろうな」

「あ・・・、さっきの騒ぎで忘れていたわ」

「おい、しっかりしろよ」

「だって・・・」

「あのぼうやか・・・」

「あなたがおちょくるから、余計に意固地になるのよ、彼」

「ま、当然だよな。
恋人が元彼と一緒に仕事をするなんてこと、普通の男は許さない」

「・・・」

「それで、お前はどうしたいんだ?」

「私は・・・」

「いいよ、俺は」

「いいって・・・」

「だから、このまま会社に残ってもいいと言ってるんだ。
強制はしない。
お前が言うようにお前の人生だ」

あっさりと言われて、私は肩透かしを食らったような気持ちになる。
ソジンは大人だ、少なくともジョンファよりは。

「昨日はお前たち別れるのかと思ったけれど
一晩明けてみれば、何のことはない、二人とも喧嘩しながら嬉しそうな顔して出社してくるし、お前の目の下のクマは明瞭だし・・・」

私は慌てて自分の目の下に指を当てた。
その様子を、ソジンはにやにやと笑いながら見ている。
からかわれたと分かっても、もう手遅れだ。
まんまと彼の誘導尋問に引っかかったことになる。

「・・・悪趣味なヤツ」

「嫉妬だよ、嫉妬。
俺にはキスしかさせてくれなかったくせに、あのぼうやとは仲良くやってる」

「からかうのはやめて。もううんざりだわ」

「・・・だから、会社に残ればいい。
彼と結婚したら、いずれはやめることになるだろう。
皆に祝われて寿退社すればいいじゃないか」

「でも・・・」

「お前さぁ・・・」

言いよどむ私を呆れたように見返し、ソジンは箸を置いた。

「他の女性なら、多分、迷わないぞ。
お前は、強い・・・といえば語弊があるが・・・、男にとってみれば、少し、なんと言うか・・・」

「何よ。はっきり言えばいいじゃない」

「5年前、俺はね、お前がアメリカまでついてきてくれると信じていた」

いきなり5年前に引き戻されて、私は面くらう。




「転勤の辞令が出たんだ。一緒に行って欲しい」
ソジンからそう告げられたのは、小さなレストランで食後のコーヒーを飲んでいたときだった。
会社を出たときから、何かを言いたそうだとは感じていた。
不安な中にどこかうきうきとした高揚感を隠していた彼。
私は一瞬、あっけにとられ、そして黙ってしまった。
即答などできるはずがない。
でも、ソジンが求めていたのは即答なのだと、私はその瞬間に悟っていた。

「2、3日考えさせて欲しい」という希望を口にすること自体、たとえその2、3日後に同行することをOKしたとしても、取り返しのつかないミスなのだと私は知っていた。

「ええ、一緒に行くわ」

そう答えたあと、迷ったのなら許されたことだろう。

「やっぱり、ごめんなさい、一緒に行けない」と、数日後に告げたとしても、ソジンは満足したに違いない。
でも、あの夜、私は即答するどころか黙ってしまった。
私は、今、あの夜から5年を経た男の顔を見上げる。

「ソジンssi」

「ジェヨン。
お前はこの間、俺を責めたよな。
渡米して1年もたたないうちに結婚したじゃないかと。
俺の妻は、自信を持たせてくれたんだ、俺に」

「・・・自信?」

「俺はプロポーズしたつもりだった、お前に。
でも、お前は、あっさりと、それこそ本当にあっさりと断ってくれた」

「・・・それは」

「まぁ、聞け。
俺はうぬぼれていたよ、確かに。
アメリカ転勤の上に、社費で留学までさせてもらえるんだ、将来性だって抜群だろ。
容姿だってまぁまぁだし、現にお前と付き合っていた当時も、他の女性からだって誘いはいっぱいあった。
なのに・・・、お前はアメリカへの同行を断った。
それが、どれほど俺のプライドを傷つけ、自信喪失させてくれたことか・・・」

「ソジン!」

ふん、と、目の前の男は精悍な顔を少しだけゆがめた。

「男のエゴ、勝手な言い草だとは分かっているよ。
でも、それは往々にして人生を決めてくれる。
留学した大学院では、俺は幾度も自信を失いそうになった。
そのたびに、情けないことに、お前がそばにいてくれたらと思っていた。
そんなときに妻と出会ったんだ。
彼女は大学を卒業後、仕事をして学費を貯め、改めて大学院に入学した努力家だった。
お互いに励ましあいながら勉強して、俺が自分を見失いそうになると彼女は献身的に尽くしてくれた。
外国でね、そんな存在がどれほど支えになるかは
経験したものじゃないとわからない。
お前を想いながら、でも、俺はだんだん妻に惹かれていった。
結婚したいと強く望んだのは俺のほうだった。
俺は妻と結婚したことを悔やんでいない。
今でも、愛している」

けれど、その妻はおなかに子どもを宿したまま交通事故で亡くなってしまった。

「ソジン」

「お前を冷たいとは言わない。
ジョンファを愛していないとも思わない。
恋愛に突っ走れるほど若くないんだといえばそうかもしれない。
でも、お前は5年前だって、俺の胸の中には飛び込んでこなかった。
もう少し、かわいげがあってもいいんじゃないか」

かわいげ・・・ですって?
多分、私の眉は上がったのだと思う。
ソジンが、一瞬、口元を引き締めた。

「男の身勝手といわれようが、俺はジョンファに同情するよ。
それでなくてもお前は仕事はできるし、そこら辺の男なんか太刀打ちできないほど・・・強い」

ソジンは、先ほど「強いといえば語弊がある」と言いながら、今度ははっきりと言いきった。
目が鋭く光っている。

「強くなんか、ない」

「いや、お前は強いよ。
現に、昨日の夕方までは、あいつのために自分の気持ちを諦めるつもりだったんだろう?
そりゃね、俺は言ったよ、向こうの女性のほうがジョンファにはふさわしいって。
でも、俺は、お前があれほどあっさりとあいつに背を向けるとは思っていなかった」

「人を煽るだけ煽ったくせに」

恨みがましい私の言葉に、ソジンは肩をすくめた。

「お前はいつもそうだ。
俺を一人でアメリカに放り出し、次に好きになった男をあっさりと若い後輩に譲り、
ジョンファでさえ、あのジョンファからでさえ身を引こうとした。
強いんじゃなくちゃ、お前はよほどの馬鹿だ」

「私は・・・」

「なんだよ」

挑発する目でソジンは私をにらんでいる。

「ま、俺はどっちでもいい。
新しい会社にお前が加わってくれないのは痛いけれど、どうせジョンファと結婚して、子どもでもできたら辞めるだろ。
1年もたたないうちに辞められたら、それこそ喜劇だ。
それなら最初からいないほうがいい」

彼は伝票を取り上げると、にらみつける私を残して先に帰ってしまった。
テーブルのランチは、まだ半分しか手をつけられていない。

ソジンが分からない。
一体彼は何を考えているのか。
ジョンファをからかい、私を責める。
私は昨日はソジンから本当に必要とされているのだと信じた。
だから、一緒に会社を辞めようと思ったのだ。
けれど、今、彼はどちらでもいいと言う。

私・・・、私は。

ジョンファの気持ちを確信して、ううん、本当は自分の気持ちを確かめたのだ、昨日は。
何があっても彼から離れないと。
たとえ、ジョンファが私の手を離そうとしても、離すものか、もう二度と。
けれど、それは新しい仕事と両立はできないものなのだろうか?
ジョンファは、私が会社をやめることを怒っているのか、それともソジンと一緒の会社で働くことを不快に思っているのか。
それならば、ソジンと一緒でなければいいの?
でも・・・、私は本当にソジンたちと一緒に独立したいのだろうか?

分からない・・・。




1章へ   3章へ   街角シリーズ目次へ
































inserted by FC2 system