「だから、どうしてなのか、僕にも分かるように説明してよ、ジェヨンssi!」

「何度も説明したでしょ。あなただって私を認めてくれたじゃないの」

「あなたの実力は認める。でも、これとそれは違う」

ジョンファと私の喧嘩は、つい40分ほど前、私の部屋を出てくるときから続いていた。

昨夜は、クリスマスの夜以来、そう、あの夜以来、初めて私はジョンファの腕の中で眠った
(いや、今朝までほとんど寝てない・・・かな?)。
ジョンファに言わせれば意地を張ったのは私だけれど、説明不足だったのは君だ、ジョンファ君。
けれど、それはもういい。
私は彼の腕の中で大泣きに泣いちゃったし、仲直りできたんだもの。
でも・・・明け方、一旦自分の部屋に戻って、あらためて私を迎えに来てくれた彼は、
私が書きかけていた退職願いを見て怒り出した。
・・・当然だろうね、まぁ。

それで、ずうっと、駅までの道や電車の中、会社にたどり着いてからもエレベーターの中でも、彼は私を責め続けている。
エレベーターの中では、ちょうど出社時間のピークに重なっているため、私は口を閉ざしたかったが、彼は容赦しなかった。

「あまりにも不合理だと分からないのか」

「ジョンファ」

小さくたしなめる声なんか、彼は無視!
私の頭の上から、「ジェヨンssiは、自分の企画力を安売りするつもりか」

エレベーターの箱の中にぎっしりと詰め込まれた同僚たちは、私たちの言い合いを興味深げにお耳ダンボで聞いている。
そして、エレベーターが止まるたびに、私たちを名残惜しげにちらりと見ながら数人ずつが降りて行く。
物見高いヤツらめ!
いい意味でも悪い意味でもジョンファは有名人なので、自然好奇心いっぱいになるのだろう。
そんな視線をものともせず、というか、最初っから無視して、彼は私を責め続ける。

「ジェヨンssi。
どうして回りにもっと相談できないんだよ。
会社にとってもとても重要なことなんだぞ」

はいはい。
自分勝手で悪うございました!
エレベーターの箱から降りても、彼は容赦しない。
廊下を早足で歩きながら、ぶつぶつ言い続けている。

「ジョンファ、だって、私の人生よ」

「私の人生? あなただけの人生じゃないだろ!」

「ジョンファ、ちょっと、ま・・・」

低く小さくなってゆく私の声に反比例して彼の声は高く大きくなってゆく。
慌てて止めたが遅かった。

「あなたの人生は僕の人生でもあるんだから!」

あちゃ〜。
彼の口に自分の両手を当てながら、私は思わず周りを見回した。
時、既に遅し・・・だけれど。

一番先に目に入ったのは、ぺらぺらの書類を手に私たちのすぐそばに立って、にやにやと笑っているソジンだった。
その次は・・・、フロアいっぱいに溢れている同僚たち。
そのほとんどがフリーズしたまま、口をぽかんと開けている・・・。
あああ・・・、と私は思わず頭を抱えた。
ジョンファは周りをちらりと一瞥したが、まるで知らん顔だ。
ただ私を見下ろしてにらみつけている。

「ジェヨン、覚悟しろ。
お前、営業の女性・・・だけじゃないな、この会社中の女性社員から呪い殺されるぞ」

私たちの横を通り過ぎざま、ソジンが面白そうに私にささやいた。
こいつまで!
と思う間もなく、ソジンはさっさと営業1課の課長のデスクに歩み寄ると、あっけにとられている狸親父の前に手にしていたA4サイズの紙をドンと置いた。

「課長、稟議書です。ハンコよろしく。
あとで2~5課の課長と、部長にちゃんと回してください。
内容は、有名無実な『社内恋愛禁止』という馬鹿馬鹿しい社則の撤廃要請です。
朝っぱらから、みんなの前で堂々とのろけたカン・ジョンファとキム・ジェヨンに免じて、課長も賛成よろしく!」

まだ目を白黒させたままの狸親父は、ソジンの言葉に、あらためて私たちに視線を移し、
まだ理解できないようにあんぐりと口を開けた。

「いったい・・・」

ジョンファはさっさとその狸親父の前に立った。
つまり、ソジンの真横に。

「課長、僕とジェヨンssiは交際していますから、あしからず。
ついでに、彼女がこれから提出しようとしている
『退職願』の不受理、よろしくお願いします」

「ジョンファ!」

「おい、ジョンファ。
聞き捨てならないこと言うなよ。
ジェヨンは僕と一緒に仕事をするつもりなんだぞ。
彼女の退職は僕にも関係するんだ。
勝手に彼女の意思を曲げるな!」

げ、ソジンまで、どさくさにまぎれて、みんなが大騒ぎしちゃうこと口走ってる!!

「ソジンssi、いや、ソジン!」

「あ?」

「ジェヨンssiは僕の恋人だ。
あなたの希望は受け入れない」

「君の恋人だろうがなんだろうが、仕事には関係ない!」

「あなたにはもっと関係ない!」

「ソジン! ジョンファ!」

呆れて見上げている課長の前で、二人の大柄な男は言い合いを始めた。
もっとも、ソジンはジョンファをおちょくっているようだが。
大体、いまさら「社内恋愛禁止」ルール撤廃のための稟議書なんて、
管理職をからかっているとしか思えない。
課長デスクに座っている男はソジンよりも年上だが、
少なくともこのままソジンがこの会社に居座れば、すぐにでも彼を飛び越えてラインの課長になってしまうのは目に見えている。
大体、ソジンの直属の上司は営業3課の課長だろう。
営業1課まで来てわざわざ稟議書を出すこと自体、まじめだとは思えない。
私はその課長が理解不能な流れに爆発する前に、衆人環視の中、二人の男をフロアの外に引っ張りだした。
ついでに、ミーティングルームまで引っ張って行って突き飛ばすようにしてその中に放り込んだ。

「いい加減にしてよ、二人とも!」

「だって、ジェヨンssi!」

「ジョンファ!あなた一体自分が何を口走ったのか、分かっているの?」

ふん!と、ジョンファは肩をそびやかした。

「当然だろ、そこまで僕だって馬鹿じゃない」

「じゃぁ、計算ずくだったと?」

私の呆れるような声に、ソジンが傍らで笑い出した。

「ジェヨン、こいつだってやり手の営業マンだぜ。
ただ感情走ってわめき散らすほど愚かじゃないってことだよ」

ソジンの言葉に、プイっとジョンファがそっぽを向く。
図星だが、ソジンに言われると面白くないというところか。

「ああいうカタチで、フロア全体に
『ジェヨンは自分のものだから誰も手を出すな』と宣言したんだよ。
そうじゃなければ、お前は退社するその日まで内緒にするつもりだっただろう?」

ジョンファの代わりにソジンが答える。
その答えに、ジョンファがぎっとソジンをにらみつける。

「ソジンssiだって、ジョヨンssiと一緒に仕事をするなんてばかげたこと、公言したじゃないか!
それに、ジェヨンssiをお前呼ばわりするな!」

「はん、君よりジェヨンとの付き合いは長い」

「キスしかできなかったくせに!」

「当然だろう。愛する女性を大切にしたいと思ったら、簡単に手を出せるか!」

「どさくさにまぎれて、ジェヨンssiをお姫さまだっこしたくせに、大きな口叩くな」

「羨ましそうな顔して眺めてたのは、誰だよ」

「いい加減にして!」

私は頭が痛くなってきた。
これが30歳と34歳の男の姿か?
それも二人ともトップセールスマンなのだ。
ビジネスに関しては双璧だといわれている男二人が、まるで小学生のように言い合っている姿など、誰が想像できるだろう。

「だって、ジェヨンssi!」

「ジョンファ、いい加減になさい。
ソジンも面白がって彼をおちょくらないでちょうだい。
それより・・・」

二人が引き起こした騒ぎの収拾を押し付けようとしたとき、

「あ、僕はこのままクライアントんとこへ直行だ」

ごくさりげないふうにジョンファがクロノスを一瞥して言う。

「俺もだ。ジョンファ、一時休戦。
急がないと、お互いに遅刻だ」

「ソジン!ジョンファ!」

私の尖る声など聞こえない振りをして、つい直前まで小学生の喧嘩をしていた二人のとぼけた男は、そそくさとミーティングルームを出て行った。
それも仲良く肩を並べて。
もっとも、どっちが先にドアを開くかで少々もめはしたが。
なんてやつらだ。

ミーティングルームに取り残されて、私はポテンと近くの椅子に腰を下ろした。
さて・・、どうしよう。
ジョンファとソジンは計算の上で、あんなことを口走ってくれたそうだが、あとの騒ぎを収拾しなくてはいけないのは私じゃないか。
ジョンファは、はっきりと「僕の恋人」だといいのけてくれた。
ああ・・・、どうしよう?
怖くてちゃんと確認はできなかったが、皆ジョンファの言葉に凍りついたように固まっていた。
そりゃ、そうだろう。
みんなの気持ちはよぉく理解できる。
だって、皆はソジンと私の仲が復活したと思いこんでいたようだったし、ましてや、フロア中、いや、会社中の女性の視線を釘付けにしているジョンファが、
年上の、お局の、ましてや・・・、同じ課にいる同僚のいわゆる“お古”とつきあっていると叫ぶなんて・・・。
・・・どうしよう・・・。
でも、フロアに戻らないわけにはいかなかった。
既に始業時間は過ぎている。
ソジンやジョンファのように、知らん振りして営業に出て行くこともできやしない。
いっそのことこのまま早退してしまおうかとまで考えたが、んなことできるはずもない。
私はひとつ大きなため息をつくと、勢いをつけて椅子から立ち上がった。
そうでもしなければ、マジにここから逃げ出してしまいそうだ。


・・・フロアは、案の定というか、なんというか、私の姿を認めるなり不気味に静まり返った。
誰もが私を見ないふりをして、そのくせ誰もが私を凝視していた。
まるで「十戒」のモーゼの如く、私は彼らが空けてくれた花道を歩いてゆき、何事もなかったように自分のデスクについた。

「先輩、いけず」

間髪入れず、隣のチェミンが、かわいらしい唇を尖らせ、パソコンのディスプレイをにらみつけながらつぶやく。

「先輩、うそつき」

「・・・」

「先輩、意地悪」

「・・・」

「先輩・・・」

「チェミン、ミスタッチ!」

私の鋭い指摘に、彼女はまたまた唇を尖らせた。

「仕事中に余計なことは考えないの。
さっさと書類を作っちゃわないと、営業さんが困るでしょ。
あとから十分ののしられてあげるから、今は仕事を片付けなさい!」

「いけず」

チェミンはまたつぶやくと、目の前のディスプレイにもっと顔を近づけた。
老眼でも近眼でもないでしょ!と、また突っ込みたかったが、さすがにそれは止めておいた。
厭味を言うだけチェミンはまだいい。
私の回りは異常なほど静まり返っている。
いつもならかまびすしい営業マンたちの電話の声だって、今日はなんだか内密めいて聞こえるような。
私の一挙手一投足を、皆が息を潜めて注視しているようだった。
多分、ほかの女性社員ならてんで仕事にはならないだろうと思われるような空気の中で、でも私はちゃんと仕事をこなしていった。
このくらいのプレッシャーにびびるほど私はかわいらしくない。
たかだか8ヶ月くらい前、私は斜め前に座っている男に二股かけられて見事に捨てられたんだから。
私の目の前で後輩の女の子が彼との婚約を発表し、寿退社して行った。
そのあとだって私は何も変わらない様子でここに座っていたんだから。

でも・・・、やっと午前中の業務が終了しかかった頃、お騒がせの一端を担ってくれたソジンが足音も高くフロアに戻ってきた。
そのまま営業3課のデスクアイランドに戻ることなく、真っ直ぐに1課へ、ううん、私へと真っ直ぐに歩いてきた。

「ジェヨン」

彼の一言で、私の周りの空気が、びしっと音を立てるほど緊張する。
痛いほど突き刺さる視線をものともせず、ソジンはまたのたまわってくれる。

「ランチ、行こう。ジェヨン。
あの男は今日は直帰だし、俺とデートしても罰は当たるまい」

当たりまくりだっての!
ただし、全て私に跳ね返ってくる。
男はどうしてこうも鈍感なほどビジネスとプライベートを割り切れるのだろう?
私だって割り切っているつもりだけれど、彼らにはとうていかなわない。
彼らは鋭利なナイフで切り分けているのかと思うほど見事な断面を見せてくれる。
だからこそ、こっちは困るんだけれど・・・。

「私は・・・」

例によっていつもの言い訳を口にしようとしたとき、すかさずソジンは先制攻撃に出た。

「弁当なら、チェミンssiが食べてくれるよ、ね?」

ソジンににっこりと微笑みかけられて、ぶすりとしていた彼女がたちまち頬を染める。

おいおい・・・。
なんという節操なし。

「チェミンssi 。今度、コーヒー奢るから、今日は、いいかな、ジェヨンを連れて行っても」

「あ、は〜い」

何が、「は〜い」だ。

さっきまでの不機嫌な声をソジンに聞かせてやりたいもんだ、まったく!
けれど私は腰を上げた。
いつもならソジンの誘いなど断るのだが、そうだ、私は今まで彼の「ランチ行こう」にうなずいたことなどない。

でも、今日は。
ソジンと私の様子を、周囲の物見高いやつらは息を潜めてうかがっている。
くいっと頭をかしげて私を誘った彼は先に立って歩き出した。
私もさっさと彼の後をついてフロアを出る。
私たちの背後で、一気に営業フロアの空気が緩んだことに、私もソジンも気がつく。
エレベーターホールにたどり着くと、彼は肩を震わせて笑い出した。

「ソジン!」

「なんだよ」

まだ笑いを止めることができず、彼はエレベーターのボタンを押した。

「おもしろがっているわね?」

「もちろん!」




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