その夜、ソウルへと車を走らせながら、ジョンファは無口だった。

無理もないだろう。

とにかく、ジョンファを仲間に引きずり込んでの宴は賑やかだった。

(人数だけでも総勢18人だし)

もともと、とてもとても賑やかな我が家ではあるが、

そこにジョンファという飛び切り上質な男性が加わったことで、

さらにそれがヒートアップしてしまったようだ。

私など、母親から、

「ここまで売れ残って心配していたけれど、

 よくやったわ、ジェヨン!」 と、マジに泣かれてしまったほどだ。


・・・ほっとけ。


食事の間もずっと女たちはジョンファを質問攻めにし、

彼はその期待にあの微笑と軽快な口調でよく応えた。

男たちは、その様子を同病相哀れむという視線で眺めつつも、どこかほほえましげだった。

女性陣はもちろん、男性陣にもジョンファは合格点だったようだ。

ま、彼のキャラを考えたら、拒むほうが無理というものだ。

けれど、ジョンファは相当気疲れしたことだろう。

すれ違っていく車のヘッドライトに光と影を交互に浮かび上がらせるその横顔は、

真っ直ぐに前を向いて揺るぎもない。

その口元にうっすらと浮かんでいる微笑だけが、

彼が決して不愉快な気分ではないことを教えてくれる。

オーディオからは軽快なK-POPが低い音で流れている。

ジョンファは音楽に対してはかなりミーハーで、

流行のK−POPを好んでよく聴いているが、今夜は曲にあわせてハミングすることもない。

やはり、疲れているようだ。



「ジョンファ・・・」



「ジェヨンssi」


私たちは、ほとんど同時にお互いの愛しい名前を呼んでいた。


「何? 何、ジョンファ」


「ん〜」


彼は視線を私へと向けなかった。

ゆったりとハンドルを握っているが、

右手の人差し指がハンドルの上でとんとんとリズムを刻んでいる。



「ジェヨンssi」


「なぁに?」


「僕はね・・・、今、甥っ子がいない」


「ジョジョは・・・」


「・・・ジョジョは、もう、あの男のところへ行ってしまった」


あの男・・・、もと義姉の再婚相手のことね。

ジョンファの苦い口調は、まだ傷がすべて癒えていないことを私にはっきりと教えてくれた。

でも、いい。

今、私たちは愛し合っているのだから・・・。

ん?

待てよ・・・、私まだ・・・あれ?



「ジェヨンssi」



「あ、はいっ」


想いがほかに流れてしまいそうになった私を、ジョンファの声が引きとめた。

間抜けな私の返事に、ジョンファがやっと安堵したような微笑を浮かべた。



「ねぇ、ジェヨンssi。

 あなたの家族は、なんというか、・・・個性的だ」



「ジョンファ、あのネ、個性的だという言葉はね、

 ほめようがないときの常套句よ。

 正直に言っていいのよ、すさまじく恐ろしい家族だと」



「あは、自覚してるんだ」



「もちろんよ!

 だから、私は近づかないようにしているんだから」



「そうなの? あんまり帰らないの?」



「当然でしょう。毎回あんな調子よ。

 妹たちは実家の近くに住んでいるし、

 子どもたちは日替わりで両親の家で暴れまくっているわ。

 もう、うんざり」



「ふう〜ん・・・」


納得したように、ジョンファはちょっとだけ唇を尖らせた。



「ねぇ、ジェヨンssi」


「なによ」


「これからは・・・、しょっちゅう帰ろうか」


「はい?」


「僕はね、兄貴しか知らない。

 それも5つも離れていたから、あまり兄弟って感じじゃなかった。

 兄貴はいつも大人だったし・・・。

 甥っ子も、ジョジョしかいなかった。

 今は、そのジョジョもいない。

 ねぇ・・・、ジェヨンssi。

 僕はね、今日、とっても感動したんだ」



「かんど〜?」


私はきっと突拍子もない声を上げたのだと思う。

ジョンファが初めて私を見て、たちまちに笑い出した。



「ジェヨンssi、ジェヨンssi。

 あなたには分からないよ。

 いつもあんなに凄い家族の中にいるんだもの。

 女の人たちはみんな圧倒的ですさまじくて、でも、お父さんやご主人たちは穏やかだ。

 とてもバランスのいいご家族じゃないか。

 ちょっと手荒い歓迎式だったけれど、僕はすぐに仲間に入れてもらえた。

 ・・・うれしかった」



「ジョンファ」


「ねぇ、ジェヨンssi。

 僕は・・・、あなたの夫としてちゃんとやっていけるよね?

 あの家族の中で、ちゃんと長女の夫として認めてもらえるよね?」



私はすぐに言葉が出なかった。

喉の奥で、様々な感情がごちゃ混ぜになって混乱して、こんがらがって・・・。


あああ、もう、ジョンファ。

あなた、それ、プロポーズじゃないの!!

何で言うか、こんなところで!!

そんなに無邪気に!!!!

でも、私はぐっとつばを飲み込んだ。




「・・・当たり前でしょう、ジョンファ。

 私が・・・、あの家族の中で育った私が選んだあなただもの。

 そして、あの家族の中で育った私をあなたが選んでくれたんだもの。

 大丈夫よ、私たち、すぐにあの家族の中で君臨できるわ」




「君臨?」


きょとん・・・と、ジョンファが私を見た。

その顔を、ヘッドライトがまた照らし、すぐに影の中に引きずり込む。

しかし、ジョンファはまた高らかに笑い出した。



「うん、ジェヨンssi。

大丈夫、僕はすぐに君臨してみせる」



「その調子よ、ジョンファ。

 私たち、ちゃんとやっていけるわ」



「うん」


ジョンファはまだ笑い続けている。

私はハンドルに乗せた彼の手の上に、自分の手をそっと重ねた。

とてもとても美しいその横顔を、私は涙がこぼれていくのをぬぐうのも忘れてみつめ続けた。

やがて、ジョンファの運転する車はソウル市街に入った。

ところが、闇を切り裂くヘッドライトは、

私の、あるいはジョンファの部屋へと向かう道を照らしはしなかった。



「ジョンファ、どこへ行くの?」


「うん」


「うん・・・って、ジョンファ?」


「言ったでしょう、僕が仕事をするかわいいホテルを案内するって」


「案内・・・って、もう10時よ!」


「いいじゃない、明日はお互い休みだし。

 どうせ、今夜は僕の部屋でしょ。

 どっちにしたって、明け方まで寝られないんだしさ」


って、おい!

今、そんなことを言わなくても・・・、

まぁ・・・そうなっちゃうのは確かだと思うけれど・・・。

対向車のヘッドライドが次々と照らし出す車内で、私は人知れず赤くなった。

それを横目で見ながら、ジョンファはくすくす笑っている。


「ジョンファ、あなた疲れているでしょう?」


「ン?大丈夫。

 あなたの家族にエネルギーをいっぱいもらったから」



はいはい。

あいつらは、エネルギーがいつも有り余っているからね。

車はソウル郊外のなだらかな丘を登り始めた。

その丘の中腹に広がる台地に、新しいホテルはその大きな月影を見せていた。

もともとここに立っていた某財閥の保養所を買い取り、

大掛かりなリフォームを施してのオープンだということだった。

もちろん、まだ大きな囲いで囲まれ、カバーがかけられていて外から全容は見えない。

しかし、ジョンファは私の手を引き、

「関係者以外立ち入り禁止」と書いてある看板をまったく無視して、

壁のように立ちはだかる囲いの中に身を滑り込ませた。


車の中から持ってきたライトに照らされた外観はまだ中途半端だが、

繊細なビクトリア形式を現代的なデザインの中に組み入れて、

確かにジョンファが言うように女性向きのホテルだ。

11階建てという瀟洒でこじんまりとしたホテルだが、

ソウル市内でゆったりとしたリゾート感覚を満喫するには、

このくらいの規模のほうがいいに違いない。



「内装はね、まだまだこれから。

 残念だけれど中のお披露目は、またあとでね。

 こっちに来て」



資材などがきちんと整理されて積み上げられている

(さすがに「転がって」などいないところに、この現場の監督者の管理能力の高さが伺えた)

足元に気をつけながら、私たちは建物の周囲をぐるりと回る。


ちょうど建物の南側に、広大な庭が広がっていた。


今はまだ照明も施されていないので、うっそうとした植物園・・・という風情だったが。


「ここは四季を通じて薔薇が咲き誇る庭になるそうだ。

 僕たちが企画したオープニングイベントのメイン会場は、このローズガーデンなんだ」



彼はそういいながら私の手を引いて歩いてゆく。


まだオープンまで4ヶ月近くあるというのに、薔薇の馥郁とした香りが私を包み込む。



「ジョンファ、もう薔薇が咲いているわ」


「うん。

 ここはもともと某財閥の保養所とプライベートな薔薇園なんだ。

 会社が傾いちゃって手放したのを、ホテルチェーンが買い取ったんだ」



私はジョンファの手を離れると、星々の輝きを受けて花あかりをともす薔薇たちに近寄った。



「ジョンファ・・・すごい・・・」


私は息を呑む。


様々に咲き零れる薔薇が私の前にあった。



「この深紅の薔薇はザ・プリンス、淡いピンクがかわいらしいのはメアリー・マグダリンだわ。

 白い花びらがロゼットに咲いているのはホワイト・メディランド、白とピンクのガリアもある。

 わぁ、アンブリッジ・ローズよ、ジョンファ。昼間なら杏色がとってもかわいいのに!」


夢中になって薔薇の間を歩き回る私を、彼は黙って見守ってくれた。


「でも、ジョンファ、もうすぐ梅雨よ。

 ザ・プリンスなんて、雨に弱いのに!」


「うん、大丈夫。

 ちゃんと薔薇専門のガーデンデザイナーが入っている。

 オープニングイベントは秋だから、そのときはもっと華やかに薔薇が咲くよ」



私は薔薇の香りに包まれて、うっとりと吐息をもらした。

10月の薔薇園。

どれほど華やかで素晴らしいイベントになることだろう。

ため息をつきながら振り返ると、

薔薇の花あかりを下から受けて、ジョンファがほんのりと微笑んでいる。

う・・・っ。

薔薇がこれほど似合う男って・・・ざらにはいないだろう。


「ジョンファ・・・ぁ」



「なんだよ。なまめかしいため息なんかつかないでよ。

 変な気持ちになるでしょう?」



もう、ジョンファったら!!



「それより、ジェヨンssiって、薔薇のことよく知っているね」


「あのね、いくつになっても薔薇は女の子の憧れなの!」


「・・・女の・・・子?」


くすぐったそうに「女の子」と繰り返した彼を、私はにらむ。


「ジョンファ!」


「ああ・・・ごめん。

 ジェヨンssi。こっちに来て」


まだくすくすと笑いながら、ちょっとむくれた私の手を取る。

薄紫の花あかりしかない薔薇園の奥へと迷わずに歩いてゆけるのは、

この中を散々歩き回った成果に違いない。

やがて、彼は微妙な黄色のグラデーションに染まる花びらを重ねるゴールドバニーを基調に、

ヘリテージやアンジェラ、コーネリアがバランスよく配されている大きなローズアーチの下で、

私の体を自分と向かい合わせに立たせた。



「ジョンファ?」


「ジェヨンssi」



彼がいつになく優しい目で私を見下ろしている。

ただ・・・、私は気がついた。

優しい瞳の中に、いつものいたずらっ子の光がある。

何をたくらんでいるんだ、こいつ?

夜の薔薇園。

うっすらと淡紅色の花あかりにゆれる彼。

この上ないシチュエーションなんだけれど?



「あのね・・・」


「うん」


「結婚・・・してくれる?」



は・・・。


はい?



「ジョンファ?」



「ジェヨンssi。僕と結婚してください」



プロポーズ・・・だよね?

れっきとした・・・。



「ジェヨンssi」



「・・・」



「ジェヨンssiってば!」



今ひとつ状況が飲み込めず、ぽかんと彼を見上げている私。



「・・・ジョンファ」


「なんだよ」


「だって、あなた・・・」


「さっき、僕は車の中で遠回りにプロポーズしたけれど、

 ジェヨンssi、いまいちだったみたいだから・・・。

 さっき、あなた言ったでしょ、いくつになっても薔薇は女の子の憧れだって」



「うん・・・、言った」



「だから、改めて薔薇の香りに包まれて、

 ロマンティックにかわいい女の子にプロポーズしているんだ。

 返事は?」



「ジョンファ」



「はい」



「・・・私も・・・はい・・・」



彼が長い腕を差し伸べて、私を抱き寄せてくれる。

たくましい彼の腕の中で、幸せすぎて私は眩暈を覚える。

その幸せを噛み締めるために、私は唇をそっと噛んだ。

唇にピリッと走る痛みを、私は忘れない。

これから先、私の人生は今までとは大きく変わっていくはずだ。

ジョンファがそばにいてくれるとは言え、会社も変わり、平坦な道だけではないだろう。

唇を噛み、言葉を捜し、屈辱に耐えることだってあるかもしれない。

でも、そのたびに私は、今の痛みを思い出そう。

今のこの幸せを思い出そう。

ジョンファがいる。

彼がいる限り、私は生きてゆける。

どんな困難にだって立ち向かっていける。

ジョンファ・・・、愛しているわ。



「ジョンファ」


「ん?」


彼の胸から顔を離し、私は私よりもうんと背の高い彼を見上げた。

見下ろす彼の顔を華やかなバラのアーチが囲んでいる。

もっとも、夜の薔薇よりも深く鮮やかな影を見せる彼の表情。



「ジョンファ、私、あなたを愛・・・」


私がすべてを言ってしまう前に、彼の唇が降りてきた。

薔薇の香りよりも私をうっとりとさせてしまう。



「ジェヨンssi。大切な言葉はもう少し取っておいて」



「もう少しって・・・」



「うん、もう少し・・・」


にっこりと微笑んで、彼は私の唇に指を当てる。


「それにね」



ん?

また光ったぞ、彼の目・・・。



「ここ、どこだっけ?」



「はい?」


彼の問いかけの意味がつかめなくて、私は彼の顔を見返す。

彼は右手の人差し指を立て、上を指差す。

上?

私はジョンファの視線と共に、頭の上を見上げる。

そこには・・・薔薇の花・・・。



「ここは、薔薇の花の下。

 sub roseつまりunder the rose。

 ここでの話は、ここだけで・・・」


はい?

ちょっと待て!!

今のプロポーズは、ここだけの話とでも言うの?



「ジョンファ!!」



屈辱よりも惨めさのほうが先に立ちそうになった私を、

彼はにっこり笑って手で牽制する。

そして、とてもとてもまじめな、厳かといってもいいような表情をした。



「ジェヨンssi。

 今度は僕の両親に会いに行こう。

 僕の両親にあなたをちゃんと紹介して、あなたと結婚することを報告するよ。

 そのとき、あらためて・・・ね?」


ね?

なんて、目じりを下げて、そんなかわいい顔して言わないでよ。

・・・ジョンファ、あなたに振り回されっぱなしの私。


でも・・・いいや(って言うのは何度目だろう。でも、いいや・・・)












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