私の退職はスムーズに決まった・・・わけじゃない。

一応会社からは慰留された。

何しろ、営業部でも古株の私。

歩く生き字引と言われている私だ。

何よりもチェミンがパニくってくれた。


「先輩、先輩、ほんと〜に辞めちゃうの?

 だめ、私一人じゃ、1課の営業マン、まとめられない〜」


って、誰があんたに営業マンたちの仕切りを頼んだ?

他にも事務を担当する社員はいるんだぞ。

ちょっとだけ心配なのは、誰があのしち面倒くさいジョンファの書類を担当するかってことだけれど、

ま、何とかしてもらいましょう。

でも・・・彼が残業してデートの時間がなくなるのは願い下げだから、

何とかチェミンたちに頑張ってもらわなくちゃ!


私は1ヶ月の間に、1課の女性社員のみならず、

ソジンの3課の営業事務スタッフにまで様々なレクチャーを行った。

ぶ〜たれチェミンをはじめ、みんなは何とか私のスピードについてきてくれた。

私が退職願を出して半月後、ソジンが爽やかで不遜な笑顔を残して会社を辞めていった。

大げさな送別会などを一切拒否して、

その代わり自分たちのクライアントをごっそり持って行った。

とはいうものの、規模的にあまりにも違いすぎるだけに、

最初はクリエイティブ局やメディア局のサポートは受ける予定だという。

その見返りとして、子会社的な営業活動はしばらく続けるという条件を飲まざるを得なかったそうだが。

とにかくソジンは穏便に退職を果たし、早速新会社の設立に精力的に取り掛かっている。

私は自分の職務をきちんと果たすことだけに神経を使っていた。

東海での仕事も無事終えて戻ってきたジョンファだって、

会社では絶対に私に対して馴れ馴れしくすることはなかった。

みんなの前で大声で交際宣言をしたのが嘘だったかのように、

彼は以前とまったく同じように私に接してくる。

つまり、普段はまったく私を無視だが、難しい案件や面倒くさい書類が必要になると、

営業フロアに入ってくるなり、「ジェヨンssi!」と、私を呼ぶ。

その声が聞こえると周囲の空気は一瞬、ぞわっとうねるのだが、

彼はまったく気にも留めず、私の前にデータやら書類やらを積み上げてくれる。


「急ぎ!明日の午後いちまで!」


「またっ!どうしてそういう仕事ばっかり押し付けるの!」


「あなたに任せて置けば安心だからに決まってるじゃないか!」


「ジョンファssi、これからはチェミンの仕事よ!

 もう、私は引退!」


「んなこと知るか。

 辞める瞬間まで、1課のスタッフだろう!

 あなたがチェミンssiの仕事を監修してくれればいいじゃないか!

 任せるっ!」


「もう、ジョンファssi!!」


私たちの丁々発止のやり取りを、周囲の人間たちは目を真ん丸くしてみている。


少なくとも恋人同士の会話ではないな、確かに。

でも、アフター5(いや、ほとんどアフター8か、アフター9だが)になると、

ジョンファはとてもとても優しい恋人に変わる。

私たちは飽きもせずにあいかわらず街を歩き回っている。

イルミネーション輝く街角で立ち止まり、きらびやかなウィンドウを覗き込み、書棚の前で立ち読みをし、

食事をして、最後は「ら・びあん」でデザート。


休日も私たちは街を歩く。

昨年の秋から散々歩き回っているというのに、

ジョンファと二人なら見慣れた街角も様々な表情を見せてくれた。

こちらが優しい気持ちになると、街の顔も優しげだ。

愛する人と歩くと、街には希望に満ちた光があふれるのだと私は実感する。

ジョンファは、雪だるまが私に「ミルフイユの伝説」を喋っちゃったのを知らされたのだろう。

自分が先に「ミルフイユ」とオーダーするたびに尖っていた私の唇が、

最近ではおとなしく微笑んでしまうのを物足りなく思っているようだ。

こいつは本当にひねくれているとしか言いようがない。


でも、いい。

相変わらず「ら・びあん」では窓の外を物憂げに眺め、

私がまん前に座っているにもかかわらず「招き猫」状態の彼は、本当にかわいい。

長めの髪の毛を掻き揚げるしぐさなんか見せられたら、

そりゃ、誰でもふらふらっとお高いスイーツを頼んじゃうわよね。

その彼を独占している私って、本当に・・・・生きていてよかった!





季節は初夏になっていた。

チェジュや東海のリゾートホテルでのオープニングイベントを無事成功させて、

今彼は、8月の釜山のリゾートホテル、

10月のソウル近郊の市内のホテルのオープニングイベントの準備に入っていた。

彼は釜山は後輩の営業マンに任せ、自分はちゃっかりとソウル市内に留まっていた。



「忙しいビジネスマンや若いカップルは、近場で遊びたがる。

 ターゲットはそんな人たち。

 ソウル近郊ならそれほど時間はかからないし、

 そこでゆったりと贅沢な気分を味わえれば、わざわざ遠くへいく必要ないでしょ」


おかげさまで、私たちは離れ離れにならないですんでいた。

彼の仕事は忙しくて時間も不規則だけれど、夜は一緒にいられる♪

私は彼のマンションで夕食を作って、仕事柄、いつも少しだけ高いテンションのまま戻ってくる彼を待った。



「ねぇ、ジェヨンssi 」


「なぁに?」


「今度ね、次の仕事をするホテルを案内するよ」


「ああ・・・クリスタライズドローズ(薔薇の砂糖菓子)・ホテル・・・ううっ、甘そう」


「うん、ものすごっく甘いホテル。

 ネオクラシカルな建築様式をあえて選んで、女性向きだよ。

 丘の中腹に広がるイングリッシュガーデンが売り物でね、薔薇園が自慢なんだ。

 ガーデンウエディングで名前を馳せたいらしい」


ジョンファの腕の中、私の体がぴくんと反応した。

彼はそれを敏感に感じとったらしい。

くすり・・・と彼の喉仏が上がる。



「ねぇ、ジェヨンssi」



「・・な、なによ」


いささか上擦った声は、致し方ないと思おう。



「あのね・・・、あなたのご両親に紹介してよ」


さらっと言われて、私は喉が詰まる。



「ジョ・・・」


「・・・ンファと、名前はちゃんと呼んでくれ。

 あなたが大好きな名前でしょ、ベッドの中で」



・・・首絞めてやる!


でも、私は彼の腕の中にさらに顔を伏せた。

ジョンファ・・・、私、なんて幸せなんだろう。


・・・でも、ジョンファ、驚くな・・・。

私の両親に会いたいなんて言葉、軽々しく口にしたこと・・・後悔しないでよね。









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