結局、私と一度も会わないまま、ジョンファは現地入りしてしまった。
毎日会社へと入ってくる報告メールで 彼が忙しい毎日を送っていることは想像がついた。

私へは、短いメールが毎日届く。

「ちゃんと食べてる?」

「こっちはそっちよりずっと温かいよ」

「仕事は忙しい?」

そのたびに私は温かい気持ちになりながら会社での出来事やチェミンとの会話などを、長い長いメールにして送った。
彼が苦笑しながら私のメールを読んでいる姿が浮かぶ。

「会いたい?」

1週間目に彼からそんなメールが届いた。

「あなたは?」

「あなたは?」

「・・・早く仕事終えて帰っていらっしゃい」

「わかった!」

思わず苦笑すると、私は携帯を閉じる。
ねぇ・・・ジョンファ。 いつ帰ってくるの?



彼が私の傍らにいないまま、2週間が過ぎた。
私はその間、ソジンのチームの一員として仕事をしていた。
今回の仕事は ちょいと大きめのショッピングモールのオープニングイベントだった。
本社がアメリカにあるそのモールの仕事は ソジンが向こうで手がけていたものだという。
アジアではまず日本でのオープンに成功し その勢いに乗っての韓国展開。
関係者へのお披露目に始まり ネット告知によって入会した会員向けのプレオープン、そして公式オープン、そのあとに続く様々な記念イベント・・・。
規模的にも予算的にもジョンファが手がけていた企画には及ばないがそれでもかなり大掛かりなものであることは確かだった。
彼のチームは、ソジンのメンバーらしく確かにソツがなく何事もスムーズ。
もちろん、私にお茶を入れて欲しいだの コピーとって欲しいだのいう人間は一人もいない。
まるで2週間前までの怒涛のような毎日が夢のようだ。
私は時間通りに仕事を終えることができたし ランチは営業一課のチェミンたちと一緒にとることもできた。
一度だけ、ソジンはまた私をランチに誘った。
でも、私がランチボックスを掲げると、あっさりとあきらめてくれた。



その日も、私はチェミンたちと一緒に社員食堂にいた。
同じテーブルを囲んでいたのは チェミンのほか、現在一緒に仕事をしているテ・ハヌルと 人事部と秘書課の人間の計5名。
もちろん、皆私より若い。
彼女たちの取り留めない小鳥が囀りあうようなおしゃべりを聞いていると眠たくなってくるのはトシのせいかしら?
しかし、ま、彼女たちも私を煙たがらずに仲間に入れてくれるんだもの ここは眠気も我慢我慢・・・。

「ね、きいた? ジョンファssiのこと!」

人事部にいる彼女が突然そう言い出した。
ジョンファのこと? 私の眠気はいっぺんで飛んでゆく!

「聞いた、聞いた。
クライアントの社長秘書が付きまとってるんですって?」

「うん、企画段階でもリゾート周りの出張には必ず同行してたらしいわ」

「社長秘書っていっても、専務の娘だかなんだか バックはすごいんでしょ?」

「そうそう 今回の突然の企画変更にもジョンファssiがしっかり対応したって
クライアントの評価もかなりアップしたらしいし、専務が娘以上に、この縁談に乗り気になっているらしいわよ」

「縁談? もうそんな段階なの?」

「らしいわよ」

「いや〜ん、うそぉ。
私、ジョンファssiがこっちへ帰ってきたら 一番先にランチ誘おうと思ってたのにぃ」

最後のお馬鹿なひとことはもちろんチェミンだ。

けれど、私は初耳だった。
クライアントの社長秘書? 専務の娘? 出張には必ず同行? ・・・縁談!?
そんなこと、ジョンファの口から聞いたことはない。
それに、ジョンファは・・・。

「夏には結婚らしいわよ」

「えっ、うそ!」

「ジョンファssiの家って、旅行代理店やってるの。
で、あのホテルチェーンの専務と彼のお父さんって大学のクラスメイトかなんかでお互いによく知っているんですって。
この縁談は願ったりかなったりなわけよ」

「わぁお。よく知っている」

「ダテに情報の宝庫の人事部にいないわよ」

「今日、その専務から電話が社長に入っていたわよ。
仲人を頼むとでも、うちの社長に言ってきたのかしら」

「もう、本決まりなの?」

「だってね、相手の女性、この夏には27歳になるんですって。
嫁き遅れになる前にって・・・・あ・・・」

その場にいた4人の若いオンナどもは、いっせいに私の顔を見て沈黙した。
私の顔色が変わったのを 「嫁き遅れ」という言葉に過剰反応したのだと誤解してくれたようだ。
私はその誤解をありがたく受け入れ、さっさと腰を上げた。
悪かったわね。 確かにもう私は嫁き遅れよ。
でも、今、私の顔色が変わったのは、そんなことが原因じゃない。

ジョンファ。
なぜあなたは何も言わなかったのだろう?
いつもいつもさわやかに微笑みながら、私のそばにいてくれた。
私を抱きしめてくれたじゃない。
やきもち妬いてくれたじゃない。
「会いたい?」ってメールくれたじゃない。
ねぇ、どうして? どうして黙っていたの?
そんなこと、ほかの人間の口から聞くなんて私がどんな気持ちになるか、あなた分かっていた?


私はミーティングルームのドアを開いた。
一人きりになりたかったのに、ランチタイムのこの時間 いつもならいないはずのソジンがテーブルに浅く腰を下ろし ラフな姿勢で書類を読んでいた。
私の顔を見て、いぶかしげに首をかしげる。

「どうした? 何かあったのか?」

私はごくりとつばを飲み込んだ。

「・・・どうして分かるのよ」

「おまえさぁ・・・元恋人の直感を舐めるなよ」

「・・・男なんて、信用しないわよ!」

いきなり私が言葉を叩きつけたので ソジンは思わずのけぞって、危うくテーブルの上から転げ落ちそうになった。

「な・・・なんだよ!」

「男なんか信用しないって言ったのよ!
何が元恋人よ。
あなただって、アメリカに行って1年もしないうちに結婚したじゃない!
私、八ヶ月前には、若い女の子と両天秤にかけられて見事に振られたんだから。  その上・・・」

「カン・ジョンファには縁談が進んでいる・・・と?」

揶揄するようなソジンの言葉に、私はきゅっと唇を引き締めた。

「知ってたわね?」

「知ってたよ。だから言っただろう、あいつはお前と結婚はしないって」

私は自分の一番身近にあった書類を手にすると 思いっきりソジンに投げつけた。
ただ重ねられていただけの紙の束は 彼にぶつかる前にバラバラになって、それぞれが情けない曲線を描きながら床の上に散乱した。

「面白がっていたのね!   私が、私がまた泣くのを!」

「誰が面白がるかよ。
自分がつきあっていた女には 幸せになってもらいたいと思うよ、俺は」

「じゃぁ、何で黙っていたのよ!」

だんだん声が甲高くなっていく私に比べ 彼は逆に落ち着きを取り戻していった。

「俺に教えて欲しかったか?
お前はまた両天秤にかけられている。
相手の女はお前より若くてきれいで、仕事もやり手で、バックもしっかりしていて、かないっこないンだから さっさと身を引けとでも言って欲しったか?」

私は黙った。
両手をぐっと握り締める。

「信じてたんだろう?
あいつなら、信じてもいいと思ったんだろう?
じゃぁ、あいつの口から言わせろよ。
お前より、あの女のほうが出世にもつながるから選びたいと言わせて、さっぱりあきらめるんだな」

私はソジンをにらみつけた。

「・・・必ず、彼女のほうを選ぶという口調ね」

「当然だろう。  男の野心や野望を侮るなよ。
アメリカと違って、この国で出世を望むなら、コネや大きなバックグランドは不可欠だ。
ほとんどの男なら、野心を持っている男なら、彼女を選ぶ。
さっきも言ったように、彼女のほうが年下で美人で仕事もできて・・・」

私は再び手近にあった書類を彼に投げつけた。
今度はちゃんと冊子になっていたので、見事に彼に命中した。
彼は避けなかった。
顔を背けただけで、私の怒りを受け止めてくれた。
それがさらに私の屈辱を深めることに彼は気づいたのか気づかなかったのか。
私はきびすを返した。

「ジェヨン!!」

私は振り返らない。

しかし、私よりも15センチは背の高い彼のほうが歩幅は大きかった。
ソジンの大きな体が、ミーティングルームを出て行こうとした私の前に立ちふさがる。

「どいて!」

「ジェヨン・・・、一人で泣くな。
お前を受け止めてやれるくらいの経験はしてきたぞ」

「ほっといて!」

「ジェヨン?」

彼が私の肩に両手を添えた。
怒りと悲しみと屈辱と でも、どこか、今までの会話をすべて否定している私の震えを ソジンは包み込もうとしている。
私は彼を見上げた。
きっちりと刈り上げた髪の毛は、彼の誠実さをより強調していた。
穏やかな、けれど油断のならない目。
精悍な顔に、彼は5年前と同じ優しげな微笑を浮かべて、私を見下ろしている。
甘えることなんかできない。
でも、彼は私を受け止めようとしている。
なぜ男は、いつもこれほど優しい?
ウソをつきながら、いつもどうして優しいんだ?

しかし・・・

「邪魔だった?」

ふいにソジンの背後からとぼけた声が聞こえてきた。
私は反射的にソジンの体の陰から顔を出し、その声の主を確かめる。
確かめるまでもない、その声の主を私は知っている。
もちろん、ソジンも知っている。
彼は私の両肩にその手を置いたまま、ゆっくりと振り返ると、一文字一文字確認するように彼の名前を呼んだ。

「カン・ジョンファ」

「邪魔したかな?」

彼はドアに手を添えて開いたまま、私たちを憮然とした表情で見ていた。
言葉はとぼけているが、その声音は不穏な響きを持っていた。
2週間ぶりに会う彼なのに・・・。

「ああ、邪魔だったよ。
これからいいところなんだ。  
何なら、出て行ってくれないか?」

「ソジン!」

「いいよ、出て行く」

私の抗議の声など無視して ジョンファはあっさりと身を引いてドアを閉めてしまった。
しかし、私は彼の名前を呼ぶことができない。

「ジェヨン。  どうする、彼の言い訳聞いてくるか?
それとも今のシチュエーションの言い訳をしてくるか?」

私はソジンの揶揄する声に両肩に添えられていた彼の手を振り払うと、そのままドアに突進して部屋をあとにした。




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