ロッカーにランチボックスをしまうとそのままミーティングルームに向かう。
なぜ急いでいるのかは分からないけれど でも、私はジョンファに会いたかった。
彼に聞きたかった。 何で急にそんなに切羽詰った気持ちになったのかは分からない。
でも・・・ 私は彼のことを本当に知っているのだろうかという不安に駆られたのだ。

ジョンファ。
私は彼の名前を呼ぶ。
教えて。
私はあなたのなんだろう?

しかし、私はそこへたどり着く前に、廊下でその男につかまった。

「あ〜、みつけた! 探したぞ。この書類、頼む」

思わず頬が緩んだが、彼は挨拶抜きで私の両手の上にどさっと書類の束を載せてくれた。

「これで最後。 明日までに清書して欲しいんだ。
僕はこれから、クライアントと最終的な打ち合わせしてくる。
それでこっちでできる仕事はすべて終了になる ジェヨンssiもお疲れ様」

おいおい、まだ早い。
この書類の清書が残っているんだろう?
ぼやいてやろうと彼の顔を見上げ、でも私は黙った。
私の目の下に隈が浮いているようにジョンファだって少しやつれている。
彼はこのプロジェクトのリーダーとして、いくら鋼鉄の神経をしているといえども
重責に身も細る思いをして来たに違いない。
この2週間、仕事以外の話しはほとんどできなかったけれど
彼のハードな仕事振りは目の当たりにしてきたのだから・・・。
彼こそほとんど寝ていないだろう。

「ジェヨンssi?」

「ああ、ごめんね。分かりました。
明日まででいいのね?」

「明日の朝までに出来上がっていれば大丈夫。 できそう?」

「馬鹿にしないでよ。このくらい、2時間もあれば出来上がるわよ。
ジョンファssiが夕方帰社したときにはもう終わっているわ」

「ん、ありがとう。 ジェヨンssiなら大丈夫だと思った。 よろしく」

険しかった彼の目が、少し緩んだ。
やっと彼も緊張を解き始めている。
何とか危機を乗り越えた自信と安堵と。
しかし、そのささやかな幸福を砕いてくれた声ひとつ。

「あまり彼女をこき使うな」

私たち2人の背後からいきなり声をかけてきたのはソジンだった。
彼もこれから出かけるのか、ブリーフケースを下げて私たちの後ろに立っていた。

「自分たちの都合で、彼女を利用するな。
そんな仕事のやり方をしているから  クライアントにいいように扱われるんだ」

「ソジン!!」

彼の辛らつな言葉に、さすがのジョンファも顔色を変えている。
少なくとも今のひとことは、ジョンファの一番痛いところを衝いたはずだった。
反論する余地はない。
たとえそれがクライアントの理不尽なわがままによるものであっても ジョンファは受け入れるしかなかったのだから。

「ファン・ソジンssi。
僕たちは、キム・ジェヨンssi を  自分たちの都合のいいように利用したわけじゃありません」

「じゃぁ、甘えただけか」

ぐっとジョンファは言葉を飲み込んだ。

「ソジンssi。言いがかりはやめて。
私は私の仕事をしているだけよ」

「いい加減、仕事のやり方を覚えろ、ジェヨン。
お前は雑用係じゃない。 自分が何をすべきなのか、よく考えろ」

「私は、私がすべきことをしてきたわ。
あなたに言われる筋合いはない」

私とソジンのやり取りをジョンファは黙って聞いていた。
言いたいことは山ほどあるが 今は黙っていたほうがいいと判断したのだろう。
しかし、ソジンは取り合わない。

「ま、無理はするな」

彼はそれだけをそっけなく言うと、腕時計で時間を確かめ その場をさっさと離れていった。
急いでいるなら、わざわざいいがかりをつけなくてもいいものを。
私は去って行く彼の背中をにらむようにして見送った。

「恋人だった・・・んだってね」 ジョンファの苦々しい声。

私は、思わず彼の顔を見上げた。

「5年前・・・僕が入社する直前の話だね。
彼が渡米するのに、あなたはついていかなかったと」

「どうしてそれを」

「彼が帰国して2週間。
もっぱらその噂で持ちきりだ。
彼のアメリカでの業績は目覚しいし 社長のお声がかりで今回の帰国が実現した。
みんなが注目している彼のことは、些細なことまで噂したがる。
その中に、あなたのこともあった」

「アレだけ忙しかったのに、あなた、そんなことまで」

「あのね、イベント屋は情報がすべてなの」

呆れたように言いながら、彼は私を見下ろしている。
そして、また言わずもがなのひとこと。

「あなた、いつも手近で済ませるタイプなんだね」

私はあっけにとられた。

「し、失礼ね!人聞き悪いこといわないでよ。
社内で好きになったのは、彼と、あいつと、2人だけよ!」


憤慨して言った私の言葉に、彼は一瞬、その美しい目を細めた。

「2人、ふう〜ん」

「何よ!」

「ホントに2人・・・だけ?」

「そうよ、正真正銘2人だけよ。 あとは・・・」

しかし、ジョンファは私の言葉なんか聞いていなかった。
ふいと顔を背けると、さっさと私の前から歩き去ってしまった。
私の手に、どっさりと重い資料を残したまま。

「ジョンファssi! どこ行くのよ、詳しい説明がまだよ!」

「知るか!」 言い捨てた彼の肩が本当に怒っている。

そのまま、例によって長い脚を器用に動かして コーナーワークもスムーズに廊下を曲がっていってしまった。
私はあっけにとられてしまった。
知るか・・・ですって? あんたの仕事だろう、アンタの。
それも、明日までにって言っていたじゃないか!
私はうんざりして、その資料を両手に抱えたままミーティングルームに向かおうとした。
そして、ふと、気がつく。
あわてて振り返ったが、もちろん、そこに彼の姿はない。
ジョンファ・・・。 ジョンファ、ひょっとしてあなた・・・。


「ジェヨン先輩!」  いきなりチェミンに後ろから肩を叩かれて
ジョンファの怒った後姿を追いかけていた私の想いはいきなり断ち切られた。
同時に、その勢いで手にしていた資料がばさばさっとフロアに落ちてしまった。

「もう、何するのよ!」

「わぁ、先輩、ごめんなさい」

ぼやいた私は 思いっきりばらばらになってしまった資料を拾い上げようと手を伸ばした。
そのとたん、ぐらりと見慣れたグレイのフロアが揺れた。
いきなり、胃の辺りから苦いものがこみ上げてくる。

「せんぱい!」

グレイアウトしていく意識の中で 後輩のリ・チェミンの声が遠くに聞こえ・・・た。
私は、そのまま意識を失った。




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