雪降る街角 4





タクシーは渋滞の中をのろのろと進み、やっと目的のマンションの前に到着した。
そして・・・・、ドアを開き、私たちを満面の笑みで迎えてくれたのは、ジョジョの新しいパパだった。
5人の夕食は、とてもとても和やかなものだった。
部屋の隅にクリスマスツリーが飾られたダイニングで、私たちはテーブルを囲んだ。
ジョンファの元義姉とその婚約者が一緒に作ったというお料理(野菜の色も美しいオードブルから始まり、メインは豚塊の塩釜焼きとパスタなどなど・・・、いやはや参った。
この二人は料理がうまい)をゆっくりと味わいながら、隣りあわせで座ったジョンファと婚約者は、それぞれの仕事の話をにこやかに交わしている。
その姿は、十分に成熟した男同士の第一線で生き生きと仕事をしている男だけが持つ落ち着いた空気を持っていた。
私は私で、ジョンファの元義姉とこれまた当たり障りのないファッションの流行の話やテレビドラマの話などをする。
どさくさにまぎれて、私は、彼女と婚約者の馴れ初めまで探りを入れた。
二人は大学の同級生だということで、なんのことはない、ジョンファよりもずっと先に出会っていたわけだ。
今年の春に、たまたまばったりと再会し、交際が始まったらしい。
・・・ジョンファには最初から勝ち目はなかったってことか。
デザートタイムは、ジョンファが持参したケーキが切り分けられて、私と彼女はリビングのソファに落ち着いた。
ジョジョはプレゼントされたゲームソフトを早速ハードに入れ、叔父さんと並んでテレビの前に座り込んでいる。
にぎやかに笑いあいながらゲームのコントローラーを取り合う姿は、叔父と甥というより年の離れた兄弟のようだ。
少なくとも、親子には見えない。
残念ながら・・・。
そして、もうすでにジョジョの父親に見える婚約者は、キッチンで私たちが使った食器を自動食器洗い機に楽しげに詰め込んでいた。

「ジョンファはステキでしょう」

私の傍らに座り、ジョンファの元義姉は、テレビの前に座り込んではしゃいでいる二人を見ながら微笑んだ。
その落ち着いた横顔を見ながら、私はそっとうなずいた。
くりっとした目がとてもとてもいとしそうに二人を見ている。

「どうぞ、彼を幸せにしてあげて」

「・・・あの・・・私」

彼女は、ジョンファが私を「会社の先輩」とそっけなく紹介したのを聞いていなかったのか?
しかし、彼女はそんなジョンファの言葉など、最初から信じていないとでも言うように言葉を続ける。

「私があの家に入ってから10年たったけれど、彼がね、連れてきた女性はあなただけなの。
亡くなった夫の両親も心配していたのよ。
もうすぐ30歳になるのに、いつまでも結婚しないって。
私たちもあの家を出てしまったし・・・」

後ろめたさをややにじませて、彼女はつぶやくように言う。
視線は息子と元義弟の背中に当てたままだ。

「私は・・・、ジョンファssiの恋人じゃありません」

仕方ないから、事実を告げる。
ちょっぴり悔しいけれど。

「私、彼の会社の先輩です。
3つも年上」

つい自嘲的になるのは仕方ない。
何しろ、私は営業第一課のお局様だ。

「うらやましいわ。たった3つじゃない。
私は、彼より6つも年上だったの・・・」

それだけをさりげなく言うと、彼女は、目を見張った私をその場に残し、身軽なしぐさで立ち上がると、息子たちのそばに座り込んだ。

「ママ、叔父さんはすごいんだよ。
初めてのゲームなのに、僕より先にマスターしそうだよ!」

「そう、よかったわね、ジョジョ。
大好きな叔父さんにプレゼントしてもらって」

はしゃぐ甥っ子とその母親を、ジョンファは嬉しそうに見つめている。
その口元に浮かぶ幸せな微笑は、しかし、私を泣かせてしまう。
彼女は知っていたんだ。
ジョンファの気持ちを。
しかし、受け入れることはできなかったんだ。
私はコーヒーを飲む振りをして、3人の後姿から目をそらした。
なんて愛すべき人たちだろう。
このイヴの夜に。
3人の楽しげな声は、クリスマスにふさわしかった。
しかし、私は、涙があふれるのを止められなかった。

私たちがその温かな家庭をあとにしたのは、時計の針が午後9時をすぎたころだった。
ジョンファの元義姉とその婚約者は、玄関のところで寄り添って、私たちを見送ってくれた。
靴を履き終え、振り返ったジョンファは、その二人の姿を見て、「今夜はありがとう。楽しかった」と、にこやかに別れの挨拶をした。
しかし、その声が心なしか震えていると思ったのは、私の思い過ごしだろうか?
目の前に寄り添う二人は、まだ結婚式も終えていないというのに、すでに夫婦だけが持つやさしさに満ちた馴れ馴れしさを持っていた。
愛すべきジョジョは、バルコニーから私たちを見送ってくれた。

「叔父さん!プレゼントありがとう!」
寒さにも負けず、5階から手を振ってくれるジョジョに向かって、ジョンファも大きく手を振って応える。
その彼の肩に、重い灰色の空から白い雪の破片が舞い降りてきた。

「雪だ!雪が振ってきたよ!」

嬉しそうにはしゃぐジョジョの声に、「早く部屋にはいれ!風邪ひくぞ!またな!」と、ジョンファは応え、また大きく手を振った。

「バイバーイ!」という声とともに、ジョジョが見えなくなると、彼はしばらくそのバルコニーを見上げていたが、やがて、傍らに立っていた私の顔をふっと見下ろした。
それから、黙って歩き出す。
私も彼の後をついてゆく。
私たちの頭の上に、雪が舞い落ちる。
ひらひらと思いの深さをさらに沈めて。

タクシーが拾えるメインストリートまで出ても、ジョンファは足を止めなかった。
彼は、車が行き交う道路を見ることもなく、ただ歩き続ける。
郊外の街はクリスマスの色に彩られているが、立ち並ぶショップの灯りも人の歩みもどこか静かで、私は今年初めての雪の冷たさに震えた。

「ジョンファssi」

私は私の前を黙って歩いてゆく彼の背中に呼びかけた。

「ん?」

「初雪よ」

「うん・・・、寒い?」

「・・・あなたこそ、・・・寒いでしょ」

彼は返事をしない。
私はかまわず話しかける。

「ねぇ、どうして夕食までOKしたの?
 ジョジョにプレゼントを渡すだけで帰ってきてもよかったのに?」

「あなたが・・・」

「ん?」

「ジェヨンssiは毎日、あいつの背中を見ている。
 あなたに耐えられるなら、僕にも耐えられると思ったから・・・」

「・・・私・・・、私は、毎日あいつの背中を見ながら呪っているのよ。
不幸になれ、不幸になれって」

いきなりジョンファの足が止まる。
そして、ゆっくりと私を振り返る。
花びらのように散ってゆく雪の中で、私の言葉に眉をしかめた彼の顔はそれでもとてもとてもきれいだった。

「うそよ・・・。冗談」

彼の眉が開く。

「あなたのことだから」

「ホントだと思った?」

かすかに彼はうなずく。
彼が元気を復活したら、やっぱり一度首を絞めてやろう。

「でも・・・・半分はホントよ。
 私は意地になっているの。
30年間のすべてをこめて、頑張っているの。
毎日あいつに言っているの、ううん、あいつだけじゃない。
あなたも含めた周囲の人、みんなに、大きな声で言い放っているのよ。
私は、あんな男に二股かけられて捨てられたことなんか、
まったく気になんかしてないって。
精一杯の虚勢を張ってるんだから・・・。
そして・・・、半分は、しがみついているの、現実に。
32歳の女が、10年勤めた会社を辞めたら、ほかにどうすればいいの?
仕事なんて簡単に見つからない。
恋人もいない。
・・・ただ、この寒さに震えて、泣くしかないじゃない?」

私は問いかけるようにジョンファの顔を見上げた。
泣きたいのは私なのに、彼のほうが泣きそうな表情をしている。
雪が彼の頭に小さな星屑をいっぱい散りばめている。
私は背伸びをして、彼の頭にフードをかぶせた。

彼は黙って私にされるがままにしている。
そして、ふと、雪が舞い落ちてくる灰色の空を見上げた。
私も同じように空を見上げる。
夜なのに、どうして雪を抱いている空は重いグレイに染まっているんだろう?
私たちの気持ちなど知らない落ち着いた表情の街は、「雪だね」「初雪だ」「ロマンチックなクリスマス・イヴになったね」などと口々に言い合う人たちの幸せそうな声を包み込んでいる。


「ねぇ、ジェヨンssi」

「なぁに?」

「初雪だね」

「そうよ」

「送っていくよ。寒いから、早く帰ろう」

「うん。今日はどこまで送ってくれるの?」

「僕の・・・マンションまで」



彼の部屋にたどり着いた私たちは、もう何も言わなかった。
彼は、タクシーに乗る前に抱いた私の肩から手を放すことなく、まるで何かから守るように、しっかりと抱き寄せてくれた。
でも・・・私は、彼が私の肩からブラウスをすべり落としたとき、つぶやいた。
「うそつき」と。

ベッドルームの片隅、ぽつんと置かれた椅子の背もたれに、あのセーターがかかっていた。
ジョンファが「捨てた」と言っていた、亡くなったお兄さんのグレイのセーター。
力なく背もたれにひっかかっているセーターは、ジョンファの心そのものだろう。
捨てたくても捨てられないまま、ただそこにある。
触れることもできず、見つめることもできず。
忘れ去ることさえできずに、ただ、そこに、放り出されて。

「うそつき」

もう一度私がつぶやくと、彼は、「うん・・・」と、吐息のように返事をして、またしっかりと私の体を抱きしめる。
私の体より、彼の体の方が冷たかった。

その夜、私たちは明け方まで眠らなかった。
お互いの体を、手で、指で、唇で、ただ確かめあった。
彼の大きな手が、私の体の輪郭をさらにくっきりと鮮明にしてゆく。
私の指が、彼の筋肉の一つ一つを確かめるように触れてゆく。
初めて触れるお互いの肌に、自分の時間を刻み付けていくように、私たちはただ求め合う。
胸をぴたりと重ね合わせれば、お互いの鼓動がいつか同じリズムを刻みだす。
それは、傷ついた獣がお互いの傷を舐めあう行為に似ていた。
ただ優しくて、ただ哀しくて。



「ジョヨンssi」

「ん?」

「・・・どうして泣くの?」

「・・・半分は・・・、私が哀しいから」

「・・・また、半分なの?
じゃァ・・・もう半分は?」

「・・・あなたは男の子だから、自由に泣けないでしょう?
だから、私が泣いてあげる・・・」

幾度も幾度もジョンファにくちづけながら、私は、人肌の優しさに溺れそうになる。
1年間付き合った男と愛し合った時には気づかなかったのに、どうして今頃そんなことに気づくのか。

「ジョンファ・・・」

「ん?」

「温かくなった?」

「うん。
でも・・・、もっと温めて欲しい」

愛よりもただ純粋にお互いの存在を求め合いながら、私たちはひとつになったまま眠りについた。




窓に下ろしてあるココアブラウンのブラインドが反射する白い光に導かれるように、私は目を開いた。
隣では、ジョンファがぐっすりと眠っていた。
まるで、眠りの女神の胸の中に深く抱かれてでもいるように、安心しきった表情で。
私の体に絡みついている腕から抜け出し、寒さに震えながら床に落ちていた彼のシャツを羽織ると、音を立てないように気をつけてブラインドの羽を開いた。
窓の外は真っ白な静けさが支配していた。
昨夜から降り続いた雪が、にぎやかなクリスマスカラーに彩られた街を、すっぽりと包み込んでいた。
ビルの鋭角なラインも、みんなほのぼのと、まあるい優しさを見せている。
雪あかりの道をのろのろと走ってゆく車のタイヤの音も、寒さに凍えそうになりながら歩いてゆく人の足音も、
すべてが雪に吸い込まれて、あたりはただ清浄な静けさに沈んでいる。

「ジェヨンssi」

物憂げな声に、私は振り返った。
ジョンファがまだ眠そうな目で私を見上げていた。
いつも私を見下ろしている彼から見上げられるなんて、なんだか気持ちいい。
暖かな毛布の間から、彼の大きな手が伸びてきた。

「寒いはずね、雪が積もっているわ」

「ん・・・。じゃぁ・・・、もう一度眠ろう」

私は逆らわない。
今日は、ただ優しい気持ちでいたい。

愛じゃなくてもいい。
傷を舐めあう行為でもいい。
ただ、彼と一緒にいたい。

今日はホワイトクリスマス。

雪はまだ降り積もる。




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