「彼、嬉しそうだったでしょ。
久しぶりにスイーツ以外の腕も揮えるって喜んでいたから」

私の戸惑いに気がついたのかいないのか、ジョンファは屈託ない。

あのクリスマスの夜から2ヶ月足らず。
私たちは時々こうやって街を歩いていた。
今、彼は大きな企画を抱えている。
その視察を兼ねて、隔週末ごとに国内のリゾート地に出張しているので私たちはその出張がない週末に会っていた。
ただ街を歩き回るだけのデイト・・・
ううん、散歩かな?
でも・・・
私がミルフイユを食べたのは、クリスマス・イヴよりも前の話だった。
本気・・・本気ならミルフイユを頼む。

ねぇ、ジョンファ・・・。

私・・・、私は・・・。

思わず彼の名前を呼びそうになった私の気負いをそぐように、

「ねぇ、ジェヨンssi」

のんびりとした彼の声が頭の上から降ってくる。

「な、なによ」

思わず動揺してしまった私は声が上ずる。

「あのチョコレート、どうしよう」

「去年はどうしたの?
毎年恒例のことじゃない」

「・・・去年は・・・、ジョジョにあげた」

「え〜、アレだけ大量のチョコレートを7歳の子供にあげちゃったの?
太りなさい、虫歯になりなさいっていっているようなもんじゃない」

「うん。義姉さんに怒られた」

当然だろう、普通の母親なら怒るぞ、絶対。
それに・・・、多分、その行為のどこかには

「僕はこれだけのチョコレートを貰っているんだよ」というささやかなメッセージがこめられていたに違いない。
本当は、少しでもいい、やきもち妬いて欲しかったんだよね。
そして、チョコレートを貰いたかったんだよね、そのお義姉さんにね。
ねぇ、ジョンファ・・・。

「今年は・・・どうしよう」

・・・知るか。
それでなくても、今日1日、胸の中がぞわぞわ不快な波が寄せては返していたというのに。

「チョコレートって、あんまり好きじゃないんだよね・・・」

ふう〜ん、そっか・・・。
それきり、私たちは黙って歩き続けた。

バレンタインの今夜、午後10時を過ぎても街は賑やかだ。
クリスマス・イブの夜には赤や緑、金銀の華やかな彩りに、真っ白な雪が映えていたけれど、今夜は濃淡鮮やかなピンク一色の街。
その街を行き交う人たちの幸せのオーラが私たちをも包み込んでいる。
ジョンファと心地よい沈黙の中で歩きながら、私は、自分が降りてゆくべき地下鉄の階段を横目で見ながらやり過ごした。
ジョンファがその階段に気がついていたのかどうかは分からない。
気がつかなくていいよ、と、私が心の中で祈っていたなんてことはもちろん、言えない。
しかし、そんな私の後ろめたさを見透かしたように、前を向いたままの彼が突然口を開く。

「ねぇ、ジェヨンssi」

「なぁに?」

どきっとした心を隠すように私はさりげなさを装って返事をする。

「今日から二つ違いになったよ?」

「何が?」

「うん、だから、年齢」

「はい?」

「今日は誕生日なんだ」

カツンという鋭いヒールの音を立てて、私の足が止まる。

「なんですって?」

ジョンファも足を止めて振り返る。

「だから、今日は僕の誕生日なんだってば」


「そんなこと・・・、聞いてない!」

「うん、言ってない」

あっさりと彼がのたまわってくれる。
その理不尽をとがめる声に、相変わらずのとぼけた返答は、私の神経を逆なでするに十分だった。

「ジョンファ、ジョンファssi。
あなたって本当に・・・!」

「本当に何?」

こいつ、どこまで人をバカにする!

「どうして言わなかったのよ!!」

「どうして言わなくちゃいけないの?」

私はぐっと言葉に詰まった。

「お、お祝いくらいしてあげるじゃないの」

「今日、してもらったじゃない」

「今日・・・って」

「一緒にご飯食べてくれた」

「一緒にって、あなたが誘ったんだわ。
逆でしょ!
本来なら、私があなたを招待すべきなんじゃないの?
私は年上だし、私がお祝いしてあげる立場だし・・・」

「どうして?」

「どうしてって・・・」

「僕は、彼の料理をいつも無理言って困らせているジェヨンssiにご馳走したかった。
もちろん、今夜のディナーはあいつの奢り。
あなたはとてもおいしそうに食べていたし、それを見ている僕も楽しかった。
それで十分お祝いしてもらった気分だよ。
どうしてそれじゃいけないの?」

「ジョンファssi」

私は、呆れてものが言えない。
私は、唖然として彼を見上げていた。
彼は彼で、無邪気にも見える表情で私を見下ろしている。
男らしい眉。
優しげな瞳。
穏やかに微笑んでいる口元。
ちょっとだけ左の口辺を上げて・・・。
あああ、30男の無邪気に見える表情なんて・・・頼むよ、私の心臓は、それほど強くないってば!
こいつは、本当に、本当に、私の理解を超えている。
しかし・・・バレンタインデーが誕生日だなんて、ジョンファらしい。
このとぼけた美しい男は、女たちに愛されるために生まれてきたような男じゃないか。
たまたま、この数年間、残念ながら方向違いを向いていただけで、本当ならば、かわいい女の子をはべらせていても、不思議じゃない魅力にあふれている男だった。

おバカさんね、ジョンファ。
ホントに呆れてものが言えない。
私は、急におかしくなった。
なんてヤツだろう。
どうしてやろう、30を超えて、こんな子供じみた男を。
二つ違いになっただとぉ?
言っておくが、私もすぐに33歳だ!
三つ違いになるなんて、すぐだぞ、すぐ!

「ジョンファssi」

「はい」

私は彼とちゃんと向き合い、真っ直ぐに顔を上げて彼をみつめた。
少しだけ悔しいけれど、たった一人、彼にお祝いの言葉を言えるのは私だけ。
その特権を行使しないでどうする?
ジョンファ、今夜は私だけの。

「カン・ジョンファssi。お誕生日、おめでとう」

「ありがとう。だからさ・・・」

「何?」

「あのチョコレート、どうにかして」

「あなたねぇ・・・」

なんという甘え上手な男。
はいはい、わかりました。
明日は早めに会社に行って、あのチョコレートを全部パッケージから出してメーカーやブランドが分からないように混ぜておこう。
そして、3時のティータイムになるたびに、少しずつおやつとしてみんなに配ってしまおう。
(問題は、生チョコが多いので早く処理してしまわないとまずいってことだけだ)
気がつく人間は多いだろうけれど、私に逆らえるほど強い社員はいないはずだ。
カードさえ、ジョンファの元に残しておけば、問題はないはずだ。
・・・って、そんなことまで計算して私に甘えたのだとしたら、こいつはマジに一筋縄じゃいかない男だわ・・・。
でも、いいや、そんなこと。
今夜は彼を独り占めしたんだもん。
それもバレンタインの夜。
それも彼の30回目の誕生日の夜。

「じゃ、気をつけて帰って」

気がつくと、彼はタクシーを止めていた。
あっさりと1台の車が私たちの横で止まり、彼は開いたドアに手をかけて、私に乗れと促していた。
私は素直に従おうとして、ふと思い直す。

「ジョンファssi」

「はい」

「今日は、ご馳走様でした」

「どういたしまして。
 こちらこそ、楽しい誕生日の夜をありがとう」

改めてバカ丁寧にお礼を言い合って、私たちは共犯者のように笑いあう。

「タクシーを見送ってあげるから、気をつけて帰って」

私はうなずくと、急いでバッグの底から小さな箱を取り出した。
真っ黒な箱に細い細い金色のリボンをかけた小さな箱。

そして、手のひらにすっぽりと隠れてしまうほど小さなそれを、彼の手のひらの上に乗せた。

「何?」

「バースディプレゼント
何も用意してなかったから・・・」

「だから、何?」

「あなたの嫌いなチョコレート」

え・・・と、彼はその目を見開いた。
そして、とっても嬉しそうにその箱をみつめている。
けれど、またひとこと。

「でも・・・、箱が小さい」

どうしてそう余計なことを言う?
私はもう返事をしないで、タクシーに乗り込んだ。
怒ったわけじゃない。
これ以上、一緒にいると、多分、私は歯止めがきかなくなりそうで・・・。

「二つ違いになったよ」だなんて、優しく言う男のそばに、これ以上いられるか。
行き先を運転手に告げるとタクシーは滑らかに発進した。

私は、バックミラーの中に彼の姿を見つめる。
街角に立ち、彼は器用にリボンを解くとふたを開き、ためらいもせずに中のチョコレートをつまみ出して口の中に入れた。
そして、私のほうを見る。
彼からバックミラーの中に映る私が見えるはずはない。
けれど、私はそれでいい。


たった一つ、私が作ったトリュフ。

たった一つ、彼が食べたチョコレート。

まだ、私は戸惑いの中にいる。
ジョンファはとらえどころがなくて、私はまだ踏み切れる自信がなくて。
でも、今夜はちょっとだけ心のタガを緩めてもいいかもしれない。


Happy Valentine&Happy Birth Day!

今夜は、街角に愛があふれている・・・。




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