色づく街角 後編





ジョンファの兄とその妻、そして息子。
あの写真の3年後の。
真ん中にジョジョを挟んで、3人で仲良く手を取り合い、とても楽しそうに幸せそうに笑いあいながら歩いている。
赤や黄色の光にさざめくペイブメントを歩く3人は、幸せの構図そのものだった。
叔父になついているという甥は、今は、父親の大きな手を握り、嬉しそうに彼を見上げている。
その目に込められた期待や憧れは、私からもはっきりと見て取れた。
自分よりも大きくたくましい父親に寄せる、羨望や尊敬・・・。

いや、違う。
私はもう一度よく、その3人を見た。
違う。
あの写真とは違う。
男は、ジョンファの兄ではない(当然だ、亡くなったのだから)。
ジョンファの兄よりは少し面長で、もう少し精悍にしたような浅黒い肌をした男だった。
私はもう一度振り返ってジョンファを見る。
彼は動かない。
ただ、目の前に迫ってくる3人を見ている。
今にもその瞳から何かがあふれ出しそうで、私は思わず彼のそばに駆け寄った。

「ジョンファssi?」

「義姉さん・・・」

彼は私の存在なんか忘れたようだった。
その悄然とした唇から漏れた言葉は、「義姉さん」。

「あ、叔父さん!」

誰よりも先にジョンファに気付いたのは、その愛すべき甥っ子、ジョジョだった。
母親と男性の手を振り切ると、叔父に向かってまっすぐに駆けてくる。

「叔父さん!」

まるで仔犬が大好きな主人に向かってじゃれ付くように、ジョジョはジョンファに抱きついた。
ジョンファの言葉は嘘ではなかった。
確かに、この魅力的なマダムキラーの甥っ子は叔父さんが大好きなようだ。
でも・・・、私は思う。
先ほど、手を握っていた男性と、この叔父さん、どちらに本当にパパになって欲しいのだろう?と。

ジョンファはジョジョに抱きつかれ、はっとしたように彼に視線を落とした。
それまではどこを見ていたかって?
もちろん、彼がつぶやいた言葉どおり。
「義姉さん」を、だ。

なんて馬鹿な男だろう。
なんて子どもなんだろう。
今、私は知る。
ジョンファが愛しているのは甥っ子だけじゃない。
本当に愛していたのは、その甥っ子の母親、義理の姉、亡き兄の妻。

・・・そのあとの会話を、私はジョンファのためにも思い出したくはない。

無邪気にジョンファに抱きついたジョジョは、やがて恥じらいの笑顔で追いついてきた母親の傍らに立つ
浅黒い肌をした男を、「もうすぐ僕のパパになるおじちゃん」 と、嬉しげに紹介した。
義理の姉は、その可憐な目元を朱らめながら

「報告が遅くなってごめんなさい。
でも、ご両親には了解いただいたの。
今度の法事が終われば、除籍していただく事になっているの」 と、告げたのだ。

ジョンファは冷静にその言葉を受け止め

「なんだ、もっと早く言ってくれたらよかったのに。
おめでとう、義姉さん。
それから、兄さんの代わりにお願いします。
どうぞ、義姉さんをよろしく」

と、いつものビジネススマイルを頬に貼り付け、その男と握手までして見せたのだ。

彼の胸のうちを知る今となってはそれは惚れ惚れとするほど美しい大人の光景だった。
さすが、わが社の若手の営業マンのトップを走るに値する男だと賞賛されるにふさわしい姿だった。
たった数分ののどかな会話。


「またね〜」
と無邪気に振った手を、近いうちに自分の父親になるという男の手に安心しきったように預けた甥っ子たちが去ると、ジョンファは頬に貼り付けていた微笑をふっと落とした。
そして、かすかにその足元をふらつかせた。

「ジョンファ!」

思わず支えようとした私の手を振り切り、彼は歩き出す。
拗ねた子どもの仕草そっくりに。
ただ黙ってまっすぐ前を見て。
休日の午後、街中に溢れる人波にもまれながら、彼は歩き続ける。
頑なに前を向き歩き続ける彼の肩に、紅く染まった葉が、はらりはらりと舞い始めた。
しかし、彼は気がつかない。
私はただ彼の後を追い続けた。
足元に秋色に染まった落ち葉が絡みつく。
その茜色の落ち葉を黒いブーツのかかとで踏みながら、私は彼のあとを追った。

やがて・・・、彼はぱたりと足を止めた。
私も2m後ろで足を止める。
かさこそと侘しい音を立てて、朽ち葉色の葉が一枚、私たちの間を風に運ばれていく。

「どうして後をついてくる?」

その背中が言っている。

「私、あなたにランチを奢ってもらう約束したのよ。
仕事をちゃんと片付けたご褒美に」

「いらないって言ったじゃないか」

「前言撤回。奢ってよ。う〜んとおいしいもの」

「やだ」

「やだぁ? あなたって本当に気まぐれよね」

「ほっといてくれ」

誰も触るなと、僕の心に誰も触れるなと、またその背中が言っている。
でも、私はあえて彼に話しかける。
同病相哀れむ?
なんとでも言ってちょうだい。
今、彼の気持ちが分かるのは、この私を置いてほかにいるもんですか!

「・・・馬鹿だなぁって誰かに言ってほしくない?
さっさと唾つけとかなかったからだって、社内恋愛禁止だから黙っていようとか、
まだ、お兄さんが亡くなって2年しかたたないからもう少し時期を待とうとか
そんな優しいこと思っていたから手遅れになったんだって、誰かに言ってほしくない?」

「・・・」

「私ね、誰かに言ってほしかったのよ。
馬鹿だなぁって笑ってほしかった。
そうしたら、ワンワン泣けたのになって思う。
事情を知っていた友人たちは、みんな腫れ物を触るみたいに優しくて、誰もが彼のことに触れないの」

「ジェヨンssi」

「なぁに?」

「街が・・・染まっている」

彼は空を、そして私たちの頭上に枝を差し伸べてくれている街路樹を見上げた。
青い空に映える秋色の街路樹がまぶしい。
赤や黄色や金色に染まる葉群れが様々な陰影の木漏れ日を私たち二人の上に注いでくれる。
世界中が鮮やかな色に染まっているこのとき、私たちは確かに二人きりだった。

「あんまりきれいで、目が痛いね」 と、私。

「ああ・・・」 と、彼。

すうっとその目じりから零れていく涙は、そのあまりの美しさが目に沁みたからだということにしておこう。







その夜。
彼は昨夜眠りそこねた分までぐっすりと眠った。
私は、「まだランチ奢ってもらってない」と言う、いいわけをずうっと口にしながら、彼のために夕食をつくり、黙って彼のお酒に付き合い、彼が眠るのを見守った。
彼が着ていたよれよれのセーターは、亡くなったお兄さんが好んで着ていたものだということを、彼は酔いに任せて教えてくれた。
もちろん、選んだのは彼の妻、間もなくほかの人の妻になってしまう女性。
彼が喋ったのはそれだけだった。
後はただ、黙って飲み続けた。
今、したたかに自棄酒に酔い、眠ってしまった彼を見守る私の手の中にその古びたセーターはある。
そっとそれに顔を寄せると、今日1日、一緒にいたジョンファの匂いがする。
ずうずうしい女だと?
ほっとけ。
私だって、まだ心の傷を癒してはいない。
ただ、今夜だけは、この男の哀しみに付き添おうと思っている。
そのささやかな代償に、ちょっとぐらいいいじゃないか。
この男が愛し、ずっと包まれていたかったぬくもりは、すでによれよれに擦り切れてしまって、毛玉ができて、
伸びきって、見る影もない。
けれど、彼は多分、しばらくこのぬくもりを手放す事はできないだろう。
朝が来れば、彼は目を醒まし、また新たな哀しみにくれるだろう。
でも、いま、彼を泣かせたほどに美しく色づいた街もやがて朽ち葉色に包まれ
新しい芽吹きのときを迎えるための眠りに入る。


私たちも一緒だ。
今は眠りなさい・・・と、私は思う。
月曜日になれば、また彼はスーツ姿をばっちり決めて「おはよう」と、言いながら、颯爽とフロアに入ってくるだろう。
誰にもこの哀しみなんか、ほんの欠片も絶対に見せずに。
私は、彼に依頼された書類を必要部数コピーして彼のデスクの上にきっちりと置いておこう。
その上に、1枚だけ、色づいた葉っぱを載せて。

それは、今日、彼の肩に舞い降りたものだった。
新しい日々に続く道しるべになるように・・・。





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