一月後。



私は真っ白いウエディングドレスを着て薔薇の花の中にいた。

私の背後で咲き零れる上品なピンク色のライラック・ローズの香りは私を包み込んでいる。

デザインこそシンプルだが、幾重にもシフォンを重ねたドレスは、

あでやかな薔薇たちから放たれた光をやわらかく取り込み、私をとても美しく見せてくれた(はずだ)。

その私の傍らには、やっとギブスの取れたジョンファも真っ白なタキシードを着て座っていた。

(どんな薔薇よりも、こいつのほうがずっと綺麗だ!!)

ジョンファが事故にあったクリスタライズド・ローズホテルの華やかな薔薇園。

私たちは、ブラザー・カドフィールやフォール・スタッフやら、

ヘリテージ、ペガサス、コ―ベデイル、グラハム・トーマス、

ああ、もう数え切れないほど多彩なイングリッシュローズに囲まれて、

しっかりと手を握り合っていた。


クリスタホテルのオープニングイベントは、

3日前から盛大に繰り広げられている。

イベントの目玉はもちろん薔薇園でのガーデンウエディング。

広大な薔薇園の真ん中にある円形テラスに

祭壇を設けての1日一組限定の豪華な結婚式。

事前に申し込みを受け付け、抽選で選ばれた初々しいカップルが

個性的な結婚式と披露宴を繰り広げる。

すべてに取材が入り、イベント雑誌やホテル関連、

ブライダル雑誌などなどに特集記事として掲載されることが決定していた。

そして、ちゃっかりとずうずうしくも、その中に私たちも紛れ込んでいたというわけだ。

ジョンファが結婚を控えているという事実を知ったホテル側が

配慮してくれたことはいうまでもない。


ジョンファの両親は、

婚約を正式にする前に結婚式の日取りが決まってしまったことに呆れ返ったが、

例によってうちの一族(特に母)に、


「早く結婚しないとジェヨンも年ですし(ほっとけ)、

 早くお孫さんの顔も見たいんじゃないですか(それこそほっとけ!)。

 ジョンファssiの快気祝いもかねて(何で、そうなる!)、

 さっさと結婚させちゃいましょう」と、押し切られてしまった。

ま、それだけは感謝しておこう。

そんなこんなで入院中に式の日取りは決まり、

事故から2ヶ月あまり、私たちは薔薇園に座って、

友人たちのお祝いパフォーマンスを眺めているというわけだ。

私たちのために集まってくれた大勢の人の中には、チェミンやソジンもいる。

ソジンにいたっては、

ジョンファに言い寄られて「ヒョン!」と呼びかけられて目を白黒させた挙句、

式進行の役目まで押し付けられていた。

各テーブルにはホテル自慢の特別コースが次々とサーヴされ、

薔薇にちなんだ上質なワインが並べられていた。

その上、多彩なデザートは、ホテル側の特別な計らいで

ジョンファの親友の雪だるまがすべて創ってくれたのだ。

もちろん、ミルフイユだけでも数種類並び、

皆は何を選ぶか嬉しい戸惑いを感じることだろう。

(もちろん、入刀セレモニーを行った大きな薔薇のケーキも彼入魂の作だ)

皆は楽しげに語らい、賑やかに盛り上がり、

時々私たちの前に来てはお祝いの言葉を述べるより先にからかうのを楽しんでいた。

私は、傍らで会社の同僚が繰り広げているゲームを

面白そうに見ているジョンファを見上げた。

短く切られてしまっていた髪の毛もうなじの辺りを隠すほどに伸び、

またロマンティックな雰囲気を取り戻している。

結婚式のために整えた

(僕のタキシードとめがねを合わせたって、あなたのドレスには及ばない・・・と、彼は主張した)

ウエリントン型のめがねの奥の目は、あいかわらず茶目っ気にあふれている。

朝からとてもとても晴れやかな表情をさらに美しくしているのは、彼の微笑だった。

ふっくらとした唇に浮かぶ温かな微笑は、参列している私の家族

(もちろん、女性陣)はもちろん、会社の同僚、後輩、友人たちをノックアウトしたまんまだ。

私は私が抱いている薔薇のブーケを彼に持たせようかと思ったくらいだ。

多分、そんな姿を見てしまったら、女どもは二度と立ち上がれないだろう。

私たちは大勢の参列者の前で永遠の誓いの言葉を交わし、

フランシーヌ・オースティンのような可憐で軽いキスも交わした。

女性陣の悔しげなざわめきなど、一切無視してやった(ざまあみろ!)。


「ジェヨンssi」


「なぁに?」


彼が、目だけは同僚たちが繰り広げているゲームの成り行きを追いながら、

私の耳元でささやく。


「とっても綺麗だ」


「当然でしょう?

 あなたのお母さんとうちの母が選びに選んでくれたのよ。

 見せたかったわよ、あの二人のブライダルショップ行脚。

 二人で盛り上がること盛り上がること。

 私が主役だってこと、全く忘れていたんだから」


「ああ・・・、ちがうよ。

 もちろん、母さんの趣味は疑ってないけれど、

 僕は、ドレスではなくてあなたが綺麗だっていったんだ」


私は私なんかよりずっと綺麗な夫を見返した。


「その気の強そうなアーモンド形の大きな目も、

 怒るとしわの寄るつるんとした額も、

 とっても形のいい輪郭のはっきりした唇も、小さな貝殻みたいな耳も。

 ちんまりした鼻だって、きゅっと締まったあごも・・・」



「ちょっと待って、ジョンファ」


「何?」


「・・・それってほめてるの?」


「もちろん」


私の疑りぶかい視線を軽やかにあしらい、ジョンファはにっこりと微笑む。


「とても綺麗だってほめているんだよ、僕の奥さん。

 5年、ううん、もう5年半になるのかな?

 初めてあなたに会ったときから、

 僕はあなたのことをなんて綺麗な人なんだろうと思っていたんだから」


はい?

・・・ちょっと、ちょっと待って!


「5年前って・・・ジョンファ?」


「あなたは覚えてないの?

 僕たちが初めて会ったときのこと」


「初めて・・・って?」


「僕の新人研修だよ。

 あなたはもう入社5年目の大先輩で、

 僕たち新人研修のアシスタントでセミナーに来ていた」


「ああ・・・」


思い出した。

5年目にして新人研修のアシスタントに選ばれて、1週間のセミナーに出たのだった。

あのときの新入社員は確か100名。

アシスタントは私を含めて10人。

まるで学校みたいなスケジュールの中で、私たちは毎時間レジメを配り、

時間がくればお茶やお弁当を配り、てんてこ舞いだった。

あの中にジョンファもいたのか。


「あなたはね、アシスタントの中でもずば抜けて有能だった。

 手際もよくて、まだ学生気分が抜けない僕たちの頓珍漢な質問にも的確な答えをくれた。

 それに、誰より綺麗だったんだ」


「ジョンファ」


「ジェヨンssi。最終日のこと、覚えてない?」


「最終日?」


私は考える。

そんな私を横目で見て、ジョンファは同僚たちのゲームが無事終了したことへの拍手を送る。

次に小さなステージに登場したのは、あの営業第一課の狸親父だった。

なんと、マジックを披露するという。

まぁ、お手並み拝見と行きましょう。

でも・・・セミナーの最終日・・・って。


「あ・・・」


唐突によみがえる笑顔。


「ジョンファ!」


「思い出した?」


そうだ、最終日。

セミナーの打ち上げもかねてのささやかな飲み会で、

私はハメをはずしすぎた男性社員を叱ったんだ。

学生から社会人へと気持ちを切り替えさせるためのセミナーを

1週間受けたにもかかわらず、やっと解放されたという開放的な気分に浸りきり、

飲み過ぎた男の子。

隣に座っていた同じ新入社員の女性に絡んでいるうちはまだ私も我慢したが、

抱きつくにいたって、私は彼を手ひどく叱責したのだ。

(いや、実は、叱った・・・というよりはひっぱたいたというほうが正しい)

相手も酔っていた。

新入社員とはいえ、年齢的には3つ下に過ぎない上に相手は大柄な男性だ。

すぐにひっぱたき返されそうになって、

私は後輩をかばって前に出ていたものの、恐怖で顔を背けてしまっていた。

けれど、相手の手は下りてこなかった。

その酔っ払いの手を、背後から素早く掴んだもう一つの手があったからだった。

それが、ジョンファだった。

私たちの席から遠いところに座っていたというのに、すぐに駆けつけてくれたのだ。

ジョンファに動きを阻止されても暴言を吐き続けた男は、

たちまちに同僚たちに押さえ込まれて会場を出て行った。

今の騒ぎを半分面白がっているような仲間たちの後姿を眼で追い、

ジョンファは怯えている女の子と私に向かって、にっこりと微笑んでみせたのだ。


「すまない。あいつ、この1週間、緊張し続けていたから、つい飲み過ぎたらしい」と。


私の後ろで縮こまっていた女性が、大きく息を呑んだのを私は背中で聞いた。

まだ髪の毛は短くて、黒いプラスティックフレームの大きなめがねをかけていたけれど、

その笑顔は撃沈ものだった。

頬の辺りはまだふっくらとしていて、

やや目じりが下がるところなんか、本当にかわいらしかった。

そして、彼は言ったのだ。


「先輩、すごくかっこよかったですよ。

 でも、相手は酔っ払いだ。

 怪我しなくてよかった」・・・と。


「ジョンファ!」



「思い出した?」


「そうよ、あなた、私を助けてくれたんだわ!」


「命の恩人を忘れていたなんて、ジェヨンssi、薄情モノ」


命の恩人は大げさだが、本当に今の今まで私は忘れていた。

そのあとすぐに飲み会はお開きになったし、

私はジョンファにゆっくりとお礼を言うヒマもなかったんだ。

ジョンファが入社後に配属されたのはメディア局だったし、それきり会うこともなかった。

でも、あのエピソードをすっかり忘れていたなんて・・・。

私も酔ってたな、あの時・・・。


「ま、仕方ないよね。

 あの時、ジェヨンssiも酔ってたし」


・・・追い討ちかけるな。

こんな一生に一度の大イベントの日に。


「あのときから僕はあなたに憧れていたの。知らなかったの?」


「憧れって・・・。だって、あなたは」


「うん、3年前に営業1課に異動したのも、異動願いを出し続けてやっとだったんだ」


「はい?」


「なのに、ジェヨンssiったら、僕のこと覚えてないし、ちっとも相手してくれないし」


「ちょっと、ちょっとジョンファ!」


「あ、ほら、課長なかなかやるね」


ジョンファの声にステージの上を見ると、狸親父は顔を真っ赤に上気させて、

まるまっこい手の中から小さな万国旗を次々と取り出していた。



「だって、ジョンファ。あなたこそ・・・」


「あなたこそ・・・じゃないよ。

 ジェヨンssiは僕に一顧だにしてくれなかった。

 その挙句、その視線は僕を通り越して、僕の後ろで仕事してるあいつに・・・」


「ジョンファったら!!」


「なんだよ」


「だって、だってあなたが好きだったのは・・・」


お義姉さんだったはず・・・。


「好きだったよ、義姉さんのことは。

 ・・・大好きだった。

 こんなところで言うべきじゃないけれど・・・

 僕が兄貴の代わりに守りたいと思っていた」


「ジョンファ・・・」


でもね・・・と、彼の目が言っている。



「義姉さんを諦めたとき、あなたが僕のそばにいてくれたのは偶然じゃない。

 それが本当に僕が選ぶべき道だったからだ」


断固と言い切ったジョンファを、私は眩しいものでも見るように見上げた。

もう私には、彼以外見えなくなっていた。

ステージの上でどんなに素晴らしいパフォーマンスをしてくれようと、

目の前にどれほどおいしそうな料理が並ぼうとも、

皆がよってたかって「おめでとう!!」と祝福してくれようとも、

私にはジョンファしか見えない。



「ジェヨンssi」


ジョンファが私を抱き寄せる。

私は彼が抱き寄せてくれる以上に彼に寄り添う。


「ねぇ、ジェヨンssi」


「なぁに」


彼が耳元で何かをささやく。

けれど、そのとき、間の悪いことに

課長が手の中から取り出した真っ白な鳩を二羽、

蒼い空に向かってはばたかせるという大技(課長にしてみれば)をやってのけてくれた。

その場に居合わせた皆がどよめき、わっと歓声を上げたものだから、

ジョンファのささやきはかき消されてしまった。


ジョンファは素早く私の耳元から顔を離すと、

すかさずステージに向かって拍手を始めた。


「ジョンファ!」


「ん?」


「聞こえなかったわ、なんて言ったの?」


ん?とジョンファは小首をかしげた。


(うう・・・、かわいい)


「ああ・・残念。もう言わない」


「ジョンファ!」


「教えて欲しかったら、僕のそばに一生いるって誓ってよ」


「さっき誓ったじゃない!」


「もう一度、ここで、僕だけに聞こえるように」


私は彼の首に抱きついた。

そして、その耳元でささやく。


「ジョンファ、愛しているわ。

 あなただけ愛している。

 一生そばから離れないから、覚悟していらっしゃい!」


ジョンファが私の耳元で笑っている。

耳だけじゃなくて、私の体も心もくすぐるヴェルベット・ボイス。


「ジェヨンssi。・・・やっぱり教えてあげない」


「ジョンファったら!!」


薔薇が咲き誇る庭には、秋の透明な光が満ちていた。

私の頬を薔薇色の光が滑り落ちて行く。


ジョンファがそっと私にくちづけて

私たちは、みんなの歓声に包まれてしっかりと抱きあった。

・・・ジョンファ・・・、さっきの言葉は聞こえなかったけれど・・・

ごめんね、ほんとはもう聞いちゃったというのは・・・一生の秘密にしておくね・・・。


愛している・・・ジョンファ、あなただけを。      


                             了



                  


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